閑話休題の最近のブログ記事

27歳というスタートライン

日本の首相は、猫の目以上の激しい動きで
5年間で6人にも交代しましたが、
今回の野田佳彦首相は、安倍晋三氏に次いで歴代総理の中でも第2位の若さ、
田中角栄と同じ54歳の時に首相に選ばれたので、 
若さ(政治の世界だけ通用する?)を前面に出して、
政治改革を突き進んで戴きたいです。
 
さて、どこの業界も世代交代が進んでいますが、海外引越業界もその一つです。
 
オレは、27歳と1ヶ月の1980年3月にシンガポールで 創業しましたが、
それから、オレが44歳頃の1997年に、
今のシンガポールの会社と中国の会社の社長を兼務している長尾を採用しました。 
今から14年前のことで、当時、彼は27歳の若者でした。
 
その長尾社長、現42歳が採用したシンガポールの若手社員の川渕は、
25歳で入社し、今、27歳です。
 
27歳と言う年齢が、
何か大きな事を成し遂げるスタートラインかもしれないので、
27歳の社員が年内には、
今、世界が注目している市場、国の初代支社長に就任する事を期待しています。
 
27歳の2倍以上の年齢に成ったオレだが、
アイディアの発想とその発想を実現化する為の実行力は、
まだまだ若造達に足元にも及ばせていないし、
その力は、衰えるどころか益々磨きが掛かり、
ターボチャージャーが装備された新エンジンみたいだ。
 
夢は実現させてこその夢であって、
実現しない、出来ない夢は、ベッドの中の夢精、空想でしかない。
 
写真は、横浜で開催されたJIMA(社団法人 日本海外引越協会)主催の
夏のパーティーで、各国の責任者達と撮影したもの。

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世界一の高額紙幣

日本の円通貨がUSドルに対して最高値を今、更新しようとしています。
それが意味するのは、円、日本経済が、
世界最高水準であるということではありません。
同時に米ドルが紙くず同様の通貨に成ったと言うことでもありません。
 
円とシンガポールドルとのレートを見ると、
円がこれだけ高い水準になったのと同様、
シンガポールドルも高い水準を保っており、
スイスフラン並みの強い通貨に成りました。
 
さらに面白いのは、
世界一の高額紙幣(桁が多いのではなく高額紙幣です)は、
シンガポールで発行されているという事実です。
 
シンガポールドル札、S$10,000で約63万円です。
(写真はS$10,00札とS$1,000札の札束。これだけで約1000万円)

20110817-01.JPG世界No.2高額紙幣はスウェーデンの10,000クローネ札。
1枚約12万円で、一時期は世界最高高額の紙幣でしたが、
ユーロの通貨危機と併せて下落してしまいました。
 
アメリカは、$100札で約7700円
欧州ユーロは500ユーロ札の約5400円
英国ポンドは50ポンド札の約6100円が高額紙幣です。
 
アジア各国の最高高額紙幣は、
中国が100元札(約1197円)
香港ドルは1000香港ドル札(約1万円)
タイは1000バーツ札(約2500円)
マレーシアは100リンギット札(約2500円)
ベトナムは500000ドン札(約1900円)
インドは1000ルピー札(約1700円)
インドネシアの最高高額紙幣は100000ルピア札ですが、
日本円で約900円と言う大変安い金額です。
 
この水準から見れば、日本の1万円札もそれなりの高額紙幣ですが、
シンガポール紙幣がダントツに世界No.1である事が解ります。
 
なぜ中国やインドネシアなどの高額紙幣通貨が低いのかは、
その国の通貨が外国に自由に、簡単に持ち出せないよう規制しているからです。
自国ではいくらでも為替を操作できても、
北朝鮮の様に裏ヤミ取り引きまでには国は関与できません。
高額紙幣がある事の証明は、
その国が、政治的にも経済的にも安定し、
自由な為替市場がその国にあることの証明でもあるのです。
 
どうです、シンガポールに移住して、
常にポケットに100万円札束を入れている様な感じで、
S$10,000札束100枚(約1センチ幅、約6,300万円)
を入れて生活してみませんか?

松本支社長

今年の7月は大変に忙しく、
8回国際線の飛行機に搭乗し、
9回違うホテルに宿泊し、
3回飛行機の機内に泊まりました。
 
今月誕生日を迎える支社長がドバイに駐在しているので、
外気温度50度の熱い(暑いではない、本当に熱い)季節でしたが、
強行日程で行きました。
 
SINGAPOREの季節は乾季・雨季の2シーズンと言われていますが、
俺は本当はHot、Hotter,Hottestの3シーズンだと思っていましたが、
それより厳しい中近東の灼熱の熱さは、
ヘヤードライヤーを常時顔に当てている感じです。
 
そんな過酷な環境で仕事している
支社長をねぎらう為にもと日程を調整しました。
 
この松本支社長は、
俺が1980年にSINGAPOREで
海外引越会社CROWN LINEを設立した時の
初めて雇用した日本人社員です。
 
右も左も解らない新米社員を1歳年上の新米社長が、
スパルタ教育をして厳しく鍛え挙げぬきました。
 
柔道2段の腕前の新米社員ですが、そこは運動部の定説。
先輩の言うことは神の声、
社長の声は仏の声と自分に言い聞かせ、
反抗することなく、純真に俺に付いて来てくれました。
 
俺の自宅に住み込ませ(勿論、食事代・洗濯代は給料から天引き)、
朝から晩まで営業の特攻隊としてビシビシと鍛えましたが、
日本人社員が、2人、3人と増え、とうとう4人まで増えると、
他の社員に感化されたのか、俺の家から出て行きました。
 
その後、色々な事があり彼は、退社し、
同業種に就職し、英国・ドイツで勤務。
ドイツで独立して自分の会社を設立までしました。
 
しかし、彼の奥さんが俺と同じSINGAPORE人だったので、
子供の教育も考え、SINGAPOREに戻りました。
 
そして再度、俺の会社に就職しましたが、
昔と同じで超短気な性格は変わらず数々の武勇伝
(彼の名誉のため 詳しくは書かない)を残しました。
 
そうして採用してから早31年が過ぎ、
ドバイに単身赴任して日夜頑張ってくれています。
 
こんな社員、男が居なかったら、
とっくの昔に会社は倒産しています。
 
松本支社長、誕生日おめでとう! 今までご苦労様でした。
心から感謝します。有難う!と 
7星のホテルBURJ AL ARABで食事をし、昔話に花が咲きました。
 
俺のブログ、2007年3月21日の写真で左に居るのが、松本支社長。
お互いに若かった!
www.j-plus.comm.com.sg/blog/oremori/2007/03

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アジア実践起業塾

今の日本国内の政治が、変わらなないならアジアで行動せよと
日本の若手ビジネスマン、若者達に訴えて行きたいと思い、
『森 幹雄のアジア実践起業塾(案)』を
優秀な方々の応援、サポートのお陰で立ち上げる事にしました。

その優秀な方々曰く、
1)27歳1ヶ月で海外で起業し、31年間も継続している経営者は少数
 
 「起業した年齢は何歳ですか?」
日本政策金融公庫の調査結果の中に、次のようなデータがあります。
 
<平均開業年齢の推移>
1990年.........38.9歳
2000年.........41.6歳
2005年・・・・・・・43.0歳
2006年・・・・・・・42.9歳
2007年・・・・・・・41.4歳
2008年・・・・・・・41.5歳
2009年・・・・・・・42.1歳
※日本政策金融公庫
http://taka-solution.jugem.jp/?eid=77
 
上表のように、起業した年齢は段々と高年齢化しています。
俺と同じ様に起業した40歳の社長なら 
俺は今、58歳だけど彼は、71歳になります。

 
2)その地で起業した経営者が、
9カ国・16支社も他国展開した例は少数
 
俺の場合、シンガポール、マレーシア、インドネシア、
タイ、香港、中国、ベトナム、UAE、日本で事業を展開。
香港と中国は今は、一緒ですが昔は、国が違うと考えて9カ国です。
あまり他に例がないと言っていいでしょう。
 

3)起業した経営者が、創業時のビジネス業態から
ダイバーシティ(多様性)を取り入れ、多業種展開した例は少数

俺の場合、これまでに手がけた事業は海外引越、不動産、貿易、
水耕栽培、製造、飲食、FM放送局、メディア、イベント、コンサルタント......。
これも他に例がないと言っていいでしょう。


4)起業した経営者が、次の若手経営者を育成した例は少数
 
多くの経営者は、各事業、各国にデイリーのビジネスは、
各社長・責任者に一任しており、
出張時ですら、責任者への指示・指令などの電話をかけることも
ままならないことも多いようです。
 
海外で起業した経営者で1)から4)まで達成できた経営者は、皆無と言われ、
実践的な値千金なノウハウをNET(講演会もあります)
で提供する事にしました。
 
既に収録し始めていますので 乞うご期待方!

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あの頃の若者

東北大震災以降、
俺は日本に対して何が出来るか?を自答続けています。
 
まだ回答は、見つけられませんが、
まずは、SINGAPOREのTV出演で
日本に対して援助、義捐金、サポートを訴えたり、
中田英寿選手のチャリティーに協力し、
サッカーの試合にも出場したりしました。
 
日本の政治を考えると幼稚で権力闘争に明け暮れる年寄り連中に
即、印籠を渡し、退場していただく時です。
 
俺の青春時代は、革マル等のヘルメットをかぶった
学生運動が華やかな時で、
高校3年生の時には、一部の生徒が、先生と談判して
全校生徒集会を開催させるなど活発に運動していました。
 
その運動のリーダーは、
俺がキャプテンを務める元ボート部員でした。

彼は、その後、地元の京都を離れて成田空港闘争まで運動し、
開港前に武力闘争する為、
地下壕を堀り進める途中で落盤事故に遭遇し、
下半身不随になりました。
 
成田空港を利用する度に、
今もある一坪の闘争小屋を見ると彼を思い出します。

あの頃の若者は、純粋に日本を変えれると信じ、行動していました。
世界の若者もツイッターなどの新武器を利用して
現政治体制をひくり繰り返しています。
 
何故、日本の若者は、行動しないのか?
不平不満を飲み込んでしまうのか?
俺の青春時代と比べ経済も生活も豊かになりすぎたのか?
 
経済成長を続ける中で、
工場から出るスモッグや有害な重金属の垂れ流しのせいで起きた公害で
地元の住民がデモ行進し、工場閉鎖までした時と、
今の原子力発電所の放射線露出と何が違うのか?