購買課には、大卒は、経済学部、高卒は、商業系の人たちばかりで
工学部や工業高校卒の課員はいませんでした。
当時の課長の言葉によると、「技術の日立製作所なのに機械や技術に
強い課員が居ないのは問題だ。そこで君を採用した。」と言う事で、
毎日張り切って仕事をしていました。
JIS規格やISO規格を覚え、メーカの技術者に色々とお教えて貰ったり、
取引先の工場見学も頻繁に行きました。
素材の知識を増やす為、鉄鋼品や非鉄金属を発注していましたが、
新金属のチタンも買っていました。軽くて強く耐食性に優れた
この金属は、化学プラントの熱交換器等に使われていました。
只、高価な為、無垢でタンクを作れない為、ダイナマイトを使い
爆発させて他の金属と張り合わせる工法や真空溶接などあり
新金属に対する知識と技術の理解力が必要で、
オレが正に適任者でした。
宇宙開発でロケットなどに使われていた貴重で高価な新金属の
チタンが、今の様にゴルフのドライバーに使われたり、
眼鏡のフレームになるなんて夢にも思っていませんでした。
あっと言う間に1年が過ぎ、2年目を向かえた時に将来を考える事件に
遭遇しました。この事件により、3年間勤めた日立製作所を退社し
21歳で米国に渡米する事になり、
さらにその後、SINGAPOREに来るきっかけにもなるとは、
チタンと同様、夢にも思いませんでした。
ところで、科学記号で鉄はFe、アルミはAl、と記載しますが、
チタンはどう表記する?
アジアの時代と言われて久しいですが、外務省の最新情報、
と言っても、2006年10月1日の統計ですが・・・。
世界中に長期滞在する日本人の数は、北米のそれを抜いて
初めてアジアが世界一になりました。
北米は、26万3756人。アジアは、26万7064人で地域別で
首位に躍り出ました。
都市別では、ニューヨークの4万8439人。上海が4万3960人。
ですが、上海は、単身赴任者や若年の駐在員が多い為、在留届けを
出す人が少ないのと統計されたのは、昨年なので今の伸び率から
考えれば、世界中で日本人が一番多く住んで居る事になります。
海外引越や日本語のメディヤを生業にしているオレ達にとっては、
日本人の数が増加する事は、市場規模が大きくなる事なので
嬉しい限りです。
ロングステイーや留学生の事を考えれば、更にアジアにもっと日本人が
住む事になると思います。
更に北南米に見られるような、日本人二世達が、
此れからどんどん増え、力をつけて来るのは間違いないので
真のアジアの時代はこの日本人社会の二世、三世達が築くと
確信しています。
今、力と知恵が円熟して来たアジアに30年も滞在し、ビジネスが出来、
更に大きなチャンスが到来する時を迎え、オレはつくずくなんと
強運に恵まれた男なんだな、と思います。
5人も子供を持っていると、
「色々と大変でしょう?」「お金も掛かるでしょう?」等々、
よく言われますが、子育てでなんといっても一番辛かったのは
毎朝子供の弁当を作ることでした。
当地の日本人学校は、私立(大使館の元に日本人会が運営)なので
給食制度がありません。
子供達は、日本人小学校1年生から日本人中学3年生まで
弁当生活でした。10年間で子供5人が生まれていますので
毎日が弁当との格闘です。
最初は、マレー人の妻が、本屋から取り寄せた『お弁当の作り方』
等を参考に“創って”(殆ど創作なので…)いました。
ご飯は、当地で販売されているカレー料理に合うパサパサした
タイ米を使っていたので昼頃になるとパサパサの米が、
更にパサパサになり、到底お箸では、食べれれない状態の
ご飯になっていました。
そんなご飯を周りの子供からからかわれたりしていたようでした。
ある日、カバンの中にある弁当箱をみたら、全く手付かずでした。
何故食べないのかと聞くと黙っていました。
そんな事が再三再四あったので子供に聞くと弁当でからかわれるので
食べないと……。その事をマレー人の妻に言うとご飯が嫌なら
明日からパスタ、と変な方向に行ってしまいました。
翌日の弁当は、弁当箱全部にスパゲッティー、でこれまた子供達は、
開けて瞬間に弁当箱を閉じたようです。
母親が一生懸命創ってくれるのは解っているので学校から帰ってきて
直ぐするのは、家の前のゴミ箱に弁当を毎日捨てる事でした。
夫としては、妻の気持ちもわかる、父親として子供の気持ちもわかる。
という事で、最終解決策は、オレが毎日弁当を作る事となりました。
米国で学生時代に住み込み女中(男)紛い的な事はしていたので
料理には自信がありました。
ゆで卵も、ウインナーもただ単に切らずに色々な形を作りました。
ご飯は勿論、日本のお米と同じオーストラリア米を使い、
上に海苔やふりかけ、胡麻で言葉や絵も描きました。
接待で幾ら遅く帰っても、仕事で疲れていようとも毎朝6時には、
眼をこすりながら起きて弁当を作りました。
弁当の無い水曜日と土曜日は、本当に嬉しい日でしたが、
日曜日は、スーパーで来週の弁当のおかずを考えながら
買い物するので憂鬱な日でした。
しかし、空の弁当箱を見る事で又、嬉しく、励みになりました。
でも時々手抜きをした日は、家の前のゴミ箱を開けて
見たりもしましたが…。
5人の子供は、オレの弁当で育たと自負していますが、
実は子供のほうが上手でオレがうまく煽て挙げらていたかも
知れません。