アンパオ
中国正月が暦の上では終わり、アンパオ(紅包、お年玉)を至る所で
ばら撒いています。 GOLF場から何時もお世話に成っている人まで
知らない間に赤い$10札(偶数でないと駄目なので。。。)が
消えていきます。社内でも暮の大晦日に当たる日に
1回目のアンパオ(閉め)を配り、元旦明けの日に
再度アンパオ(開く)を配りました。来年は、全社員に更に分厚い
アンパオを配れるように頑張ろうと思う新年でした。
新年快楽、恭喜発財 !
中国正月が暦の上では終わり、アンパオ(紅包、お年玉)を至る所で
ばら撒いています。 GOLF場から何時もお世話に成っている人まで
知らない間に赤い$10札(偶数でないと駄目なので。。。)が
消えていきます。社内でも暮の大晦日に当たる日に
1回目のアンパオ(閉め)を配り、元旦明けの日に
再度アンパオ(開く)を配りました。来年は、全社員に更に分厚い
アンパオを配れるように頑張ろうと思う新年でした。
新年快楽、恭喜発財 !
5人の子供は、昔の世間で言えば、『あいの子』、今風に言うと『ハーフ』です。 オレの小さい頃は、『あいの子、合、間いの子』と言われる 差別用語でした。 外人の男性と日本の女性との間に生まれた子供達で 終戦後、米国の兵士達と結婚した為、魂を売った日本女性、として どうしてもさげすまれ、その子供達も同様にさげすまれてきました。
お父さんが黒人の為、肌の色が黒い為、友達にからかわれるので
毎日お風呂場で血が出るぐらいタオルで洗い流して…。 そんな逸話も良く聞きました。 オレは、この『ハーフ』と言う言葉が大嫌いです。 生まれて来た子供達には、「お前らは『ハーフ』とは違う」と 言い続けています。 大和魂を持った日本人と、多民族国家・国際国家のSINGAPORE人 との間に生まれた子供は、お互いの良い所、長所を持ち合わせた 優勢遺伝子を持った優秀な人種なので『ハーフ』では無く『ダブル』だ!! と常に言っています。 過去にも現在にも悲惨な戦争が続いていますが、もし、万が一、 両国間で紛争、戦争が起きて戦わねばならない時にオレの子供は、 その国の法律を犯しても絶対に反対行動をするでしょう。 父親、母親、親類の為にも草の根で紛争を解決したりするでしょう。 世界中の人々が隣の国同士で結婚して子供を作れば、世界平和が 簡単に手に入る気がしてなりません。 皆が、短所や悪い事を指摘してもめるより、お互いの良い所を 認め合い、お互いの文化・風習を受け入れれば、争い事は、 この地球上から消えて行く筈です。 異文化、異民族と言う言葉をなくし多文化、多民族と表現すれば 社会が、国が変わる筈です。 世界のポリスを自称する米国が、 料理で言えば大きなポットで煮たシチューならば、 SINGAPOREはサラダボールに入れた色とりどりのサラダです。 レタス、人参、胡瓜、トマトもそれぞれが形を変える事無く認め合い、 色のバランスを保ち、個性を出し合っています。 それらを一つのドレシッングで絡み合い更なる味覚を出しています。 頑張れ世界中の『ダブル』達。 (ついでに『ニューハーフ』達も!) |
子供の教育は、マレー人の妻の承諾を得て日本式に決めましたが、
妻からの条件は、教育は日本式なら宗教は、回教と強く迫られました。
結婚時に私が改宗をしない為、妻は両親、親戚から離縁された事も
ありどうしても子供達をイスラーム、回教徒にしたかった様です。
(せねばならないと言ったほうが正確か。)
日本では、八百八の神が居ると言われてますが、元旦には神社、
仏閣に御参りし、彼岸、お盆と色々な行事があり、交通安全から
家内安全、入学祈願、縁結び、縁切り、女難逃れなどなど・・・。
神社、仏閣、お寺、院、仏像、御神体、地蔵さんと自然の火、雷、
山や河、樹木、石、更には男女の性器まで拝められ、
更にはお客様まで神様の日本では、イスラーム教の絶対唯一神は、
なかなか理解できません。
オレの母親は、熱心な創価学会員なのですが、反動でオレ自身は、
宗教は信じるが、あまり関心を持っていませんでした。
中東問題は、宗教なくして語れませんが、世界のイスラーム諸国で
一番人口の多いのはSINGAPOREの隣国のINDONESIAで
MALAYSIA、PHILIPPINE、PAKISTANも入れれば、アジアには、
多くの回教徒が住んでいます。
THAIや中国南部にも回教徒が多く住んでいるのでイスラームを
理解しないとアジアではビジネスが出来ません。
難しい話は、専門家に負かせて、回教との生活をオレの実体験を
通じて少しでも理解し、少しでも興味を持ってもらえれば幸いです。
因みに子供達の回教徒名は、長男は、HAMZAH、次男は、SUFIAN、
三男は、HADI,四男は、HIZAMIH、そして長女は、MARINAHです。
もしこのブログで説明不足で他の回教徒の皆様に不快な思いなど
されましたら全てはオレの責任で唯一の神を冒涜するつもりは無い事を
ご理解下さい。
INSHALLAH
(インシャラー)=神が望むならば(ま、なんとかなるさ)
イスラームと言うとまず豚肉が食べれない、アルコールも禁止、
断食等、日常生活に対して指針的な事柄が多く、
一般的に宗教というより日常の道徳的な慣習、風習のイメージを
多く持たれています。
最初、オレは回教、イスラームと聞いて頭に過ぎった事は
『眼には眼を、歯には歯を!』でした。こんな諺も中近東では、
昔から言われていますし、窃盗をすれば右手首を切断されたり
不義密通なら公衆の前で石投げの刑にされたりとか
『剣かコーランか?』と怖い事ばかり想像していました。
一方で、四人の妻が持てるという事に何だかワクワク・・・も、しました。
イスラームを信仰する信者の大切な五つの事柄は、
1)唯一神への信仰告白(アラー以外の神は無く、
モハメッドは、アラーの使徒である)
2)1日五回の礼拝(最初の礼拝は、11月のヒジュラ暦で
当地SINGAPOREでは、5時45分前後の夜明け前、
12時58分頃の正午、16時08分頃の午後、
18時58分頃の夕方、20時15分頃の夜)。
3)喜捨(SINGAPOREでは、全ての回教徒から政府が、
毎月の給料より天引きし管理団体に渡しています)
4)断食(ラマダーンの1ヶ月は、日の出から日没まで一切の食べ物、
飲み物、唾液を飲むの事さえ禁止で喫煙は勿論、性交も禁止)
5)巡礼(生きている間、生涯に一度は、メッカに巡礼する事で
HAJJI(決まった期間に巡礼)とかUMRAH(何時でも可能)と
言われています。妻は、既にハッジに行き、2回もウムラに
行っています)
ユダヤ教もキリスト教も色々な制約が有りますが、
原点はイスラームから始まりユダヤ教、キリスト教と分かれて
行ったからでしょう。
イスラーム法(シャリーア)は、ムスリムの行動規定、生活指針、
道徳的な要素を含み、民法は、結婚、離婚、遺産相続など詳細に
わたり規定があります。
オレが妻と結婚した時は本来このシャリーア法に基つき結婚しなければ
ならならないのに、それに従わ無かった(その為、妻は親類一同から
離縁)ので通常の結婚登記しました。後にシャリーア法に基き、
結婚式を挙げ、とりあえず親戚、両親から復縁されました。
離婚は、アラーの神に3回連続して言えばそれでOKという感じです。
まったくのオレの主観ですが、どちらかと言うと男尊女卑が強いと
言えるでしょう。
商法は、売買、貸借、抵当、贈与など詳しく決まっていて昔から貿易で
栄えた時代を思い出させます。商法で一番有名なのは、
不労所得になる金利、利息を取る事を禁止している事ですが、昨今、
シャリーア法に基つきイスラム銀行が創られ、今後大きな反響が出てくるのは間違いないと思います。
刑法は、殺人、強盗、姦通、中傷、などにわたり規定があり復讐、
報復刑も存在しインドネシアなどでは、交通事故を起しムスリムを
負傷させたらドライバーも同じ目に遭わされる
(死亡させれば此方も殺される)と誠しなやかに今でも言われています。
正しく『目には目を歯には歯』をです。
司法は、裁判、告訴、証言、宣誓など裁判官に関しても規定が
有ります。
これ以外に禁止行為(ハラール)、神が禁じた命令で偶像崇拝、飲酒、
豚肉を食べる事などあります。
オレは、妻と知り合ってからトンカツは、一度も口にしていませんが、
何故豚肉が駄目なのか?そんな食事まで決める宗教に大きな疑問を
抱いていました。しかし冷蔵庫など無い昔の時代では雑菌の多い
豚肉を食べる事が如何に不衛生、不健康、さらには死に繋がる事で
あるかを考えれば納得です。
マレーの妻を持ち、大感動したのは、初めてラマダン(断食)を終えた
ハリラヤ(イスラームのお正月)の朝(丁度日本で言えば元旦の朝)の
事です。
家族が新しい服を着て集まり新年を祝い、朝食を取った後に両親、
親類の家に挨拶に行く前に妻がオレを両肘の付いた椅子に座らせ、
膝就きオレを見上げました。
何かが始まる、と身構えると、妻が『昨年、1年間は大変お世話に
なりました。妻として母親として至らぬ点が多々あったことや怒らせた事、
育児、家事に関して失敗した事など全ての過ちをお許し下さい。
そして今年1年は、昨年以上に努め貴方にとって最善に妻、母親に
なりますので宜しくお願い致します』と言いました。
更にオレに手の甲にお許しと慈悲の願いの意味でキスをしました。
此れにはさすがのオレも青天の霹靂で、100年以上の前に日本、
江戸時代に遡って、武士の気持ちで『よきに計らえ』と殿様気分で
言ってしまいました。
毎年、この行事をしないと外出(両親、親類に会えない)出来ないので
幾ら前日まで喧嘩していてもこの日だけは家来、大奥と殿様状態です。
日本人女性が、世界中の男性からモテモテ状態なのは、謙虚で奉仕の
精神がある為ですが、日本人男性が、世界中の女性からモテる事は
少なく、しかしこの日ばかりは感謝、感激、夫としての権威を
発揮できる日でもあります。
この儀式があるからこそ、今まで30年間も夫婦として一緒に居られる
のでしょう。是非日本人の女性、妻達に見習ってもらいたいものです。
今の女性には、無理かも?
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俺みたいな、にわか素人DJは、お笑い番組や演歌の番組には適合できますがNEWSとなると声が震え、それどころか足まで震えてきて、教養が一発で解ります。
そもそもNEWSと言う英語のスペルが、NORTH,EAST,WEST,SOUTHの東西南北(北東西南)から由来しているのを知ったのは、NHKラジオ放送のニュース番組を衛星で受信して FM96.3放送でリーブロドーキャストした時ですし 歴史の英語スペルも 『HIS STORY』から発生してる事も知りました。
新しく採用するDJは、必ずNEWS原稿読みの試験を実施するのですが、ある時急にDJが退職した為、声のデモテープだけで急遽新人を採用しました。
いざNEWS番組が、始まると読み違え、言い間違い、解らない漢字は飛ばす……などなど。
有名な某TV放送局のアナンサーが言った『旧中仙道』を 一日中山道(いちにちじゅうやまみち)とまで言い間違えはしませんが、それでもお寺の建立を ケンリツ、相殺を ソウサツ、殺陣をサツジン、西鉄ライオンズをセイテツ ライオンズ、立浪選手をタテナミ選手……。
今は流行のグループ歌手『羞恥心』並か、それ以上の珍文読みが、数々有りました。
TVの番組では、よくNG特集を放送しますが、一時期は、そのDJが担当する日が、NG特集番組までと言われ 採用が続いているのは、俺が手を出したDJだからとまで NETで書き込まれました。
極真空手を ゴクシン空手と言えば空手家から何発チョップを食らうか解らないし、法被をホウヒと言えば又違うHなほうひになり 牛蒡を牛のフンと思っていたらきんぴらゴボウは、食べられません。
海外に長く生活すればするほど日本語、漢字には、どうしても疎遠に成りがちですが、この頃は優秀なDJを採用しているのと、頻繁をハンザツと読み、未曾有をミゾユウと用意された原稿の読み間違い、踏襲するをフシュウすると答弁する何処かの国の首相がいるお陰で 文句やクレームも無くなりました。
これもその国の首相のお陰ですとお礼を言えば、『あ~そう』と返答されそうです。
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先日読んだ本で 久しぶりに感動した本がありました。
タイトルは、絶対不可能を覆した農家、木村秋則の記録『奇跡のリンゴ』です。
本の帯には、「ニュートンよりもライト兄弟よりも偉大な奇跡を成し遂げた男も物語、死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい、木村秋則さんのリンゴは、来るべき未来への叡智を与えてくれる『智恵の果実』だ」とあります。
ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合う。
俺もSINGAPOREで、ビジネス、生活しアジアで生活されている邦人に、
より豊かで楽しく快適な海外生活を営んでもらう為、
33年もの間ひとつのものに専念してきました。
リンゴの木は、リンゴの木だけで 生きているわけではない。
周りの自然の中で、生かされている生き物なわけです。
人間もそう。人間もそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている。
俺もこのごろ、長い道のりだったけどやっとこの境地まで たどり着いたと思っています。
危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが鎮まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、自分自身の力をみだせますように。
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。
成功のなかのみあなたの恵みを感じるような卑屈者ではなく、
失意のときこそ、あなたの御手に握られていることに気づけますように。
(ラビンドラナート タゴール 石川拓治訳)
良い本は、心を豊かにし励ましてくれる。
俺もビジネスで 大地に確りと根を生やした大樹を育てられたので、
これから色んな果実を実らせ、皆で分かち合いたいと思うこのごろです。
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今まで、日本語ラジオ放送 FM96.3では、数々の大物芸能人、スター、歌手、演奏家、アーティスト、スポーツ選手、有名ビジネス人、コメンテーター、芸術家などをスタジオにお呼びしてインタビューして来ました。
吉幾三さん(演歌歌手)、日野テルマサさん (ジャズ・トランペッター)、細川ふみえさん (タレント)、ブライアン・ホルスさん (大道芸人)、ローラ・フィジーさん (ジャズ歌手)、相川七瀬さん (歌手)、りゅうさん(韓国のシンガーソングライター)、井上祐見さん(演歌歌手)、藤田恵美さん(歌手)、守谷譲さん(バリトン歌手/元劇団四季の佐川守正)、秋川雅史さん(テノール歌手)
。
桂三枝師匠(落語家)、三遊亭良楽師匠(落語家)、
豊田康光さん(野球評論家)、谷昭範さん(プロゴルファー)、佐野順さん(日本ラグビー協会 7人制日本代表監督)、藤本憲幸さん(ヨーガ・健康法指導家)

胡暁子さん(シンガポール財閥総帥夫人)、江口克彦さん(PHP総合研究所代表取締役社長)、
田島 憲一郎さん(サカイ引越センター 創業者・会長)、井上 孝代さん(明治学院大学心理学部心理学科教授)、ケビン クローンさん(国際コラムニスト)、 束芋さん(現代美術家)、金原ひとみさん(芥川賞作家)、ステラ薫子さん(タロット占い師) の方々などです。
これからも『世界を極めた人々』をインタビューして行きたいと思っています。
乞うご期待を!

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先日インタビューしたのは、
茶道裏千家前(第15代)家元、鵬雲斎千玄室大宗匠で
40分間にもわたりお話させて戴きました。
『一碗からピースフルネス』を掲げ、
一碗のお茶から人と人との和の心をつなげ、
文化交流を通して世界平和に役立ちたいと説いておられました。
又、和敬静寂の四規を、意味を解説してもらい日本人として大切な心を戴きました。
インタビューしていて驚いた事が数々ありました。
85歳にもなるのに背筋をピーンと伸ばされ、白髪が素晴らしく、
顔に艶があり和服をめされているせいか振る舞いに男の色気がある。
元気の源は、お茶のカテキンだそうだ。
先祖は、480年前にも遡る千利休と意図簡単に言われ、
戦国武将織田信長、豊臣秀吉の話をされても全く違和感が無かった。
京都が、戦火に見舞われたのは、第二次世界大戦ではなく、
応仁の乱といえる同じ京都市内生まれ、生粋の京都人なのだろう。
今まで世界62カ国を300回以上も歴訪され裏千家の支部は、
世界35カ国、99ヶ所にものぼります。
初めて海外に支部開設した年は、まだまだ戦争の傷跡が残る1951年。
「国は、戦争で米国に負けました。でもXX経験の数だけは、絶対負けない」と自負している。
相客に心せよの言葉を通じて、
これからも日本語FM放送のインタビュー番組に臨んで行きたいと思っています。

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先日社員の結婚式がありました。
今まで数々の結婚式に出ていますが、当地の結婚式、宴会は、至って合理的で 新郎新婦の紹介、成れ染め、主賓スピーチ、余興など全く無く、新郎新婦が、各テーブルに廻り、ヤームセン(飲勝)と大声で 皆と祝杯し、ご祝儀を渡し、料理を食べて三々五々解散です。
ただ宴会の開始時間が、招待状には19時と記載されていても 始まるのは早くて20時30分以降になるのが常で、これだけは合理的とは言えません。
社員の結婚式には、4回ほど司婚者、立会人、仲人などの立場で出席しました。
その折にはスピーチを頼まれるのですが、結婚式を挙げたことがない俺には、苦痛で苦痛で仕方ありません。
両家の両親や友人達に祝福され皆が笑顔で、涙を流されているのを見ると、ただたんに羨ましいだけではなく、今までお互いの両親の苦労等を考える、俺の両親、妻の両親に対して、結婚式も挙げられず友人からも祝福されずゴメンとしか言いようがありません。
そんな事が頭に浮かぶと涙腺が一番ゆるい俺は、もう大粒の涙が滝のように流れてきます。
初めて社員の結婚式にスピーチした時は、最初から最後まで、5分間も声を詰まらせ体を震わせ、嗚咽と涙声で全くしゃべれず、最後に『おめでとう』しか言えませんでした。
さらに出席者の皆も何故か俺に連られて涙し、会場は涙涙で、子供用のプールが出来るかと思うぐらいでした。
それ以来、結婚式のスピーチは、含蓄のある話をまず話す事でスピーチに集中し、両家の人々や友人達の顔を観ず、天井を見上げ顎を上げて涙を流さない対策をしています。
結婚式で、含蓄のある話は、何故結婚指輪を薬指にはめるのか? 捕鯨でなぜ雌から射止めるのか?などです。
詳しく聞きたいなら俺の社員になり結婚式を挙げるか、友人として招待して貰うことだな~。
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今年の56歳の誕生日には、
メディアスタッフの面々から今までにないユニークな誕生日プレゼントを貰いました。
それは、日捲りカレンダー。
今年の俺の誕生日から始まり来年の誕生日まで366日分です。
タイトルは、『56歳のオレ森カレンダー2009』で、
俺のイラストが左側に描かれていて、
毎月のかぶり物が変わり、今月は武者人形らしく兜を被っていています。
右側には、季節と合せて桜や浮き輪、西瓜、南洋椰子クリスマス……と変化していきます。
毎日、毎日カレンダーを日捲くると
日付の下に『今日のオレへのメッセージ』の枠があり
其処に毎日毎日スタッフの言葉、メッセージが書き込まれ
日本語があれば英語、中国語と色々な言語で 皆が書いてくれています。
メッセージの内容は、自分の誕生日を予告するものから
世界の諺をもじり自分の諺を作ったり、今まで見た映画の感想、
謎々クイズ、歴史上の有名人の言葉(何故か恋愛もの)、
結婚前宣言(まだ相手とは未知の遭遇状態)、
過去の大事件、記念日、食事を驕れ……と脅迫的なものと
正しく多種多彩、季節爛漫、雑学大王、メルティングポット、
よりどりみどり、激安ドンキーホーテイ、てんこ盛り牛丼、
一風堂ラーメン替え玉、ユンケル黄帝から始まるL、D,ロイヤル、スター、グランド、ゴールド、40、L40DCF以上の
バライティーに溢れるものばかりです。
海外に出張したりする時は、事前に1~2週間分を纏めて見ますが、
それ以外は毎日の楽しみで、月日の経つ早さに驚きながら新鮮な気分で
スタッフとの繋がりに日々感謝しています。
今までの誕生日プレゼントで一番の宝物に成っていますが、
57歳の来年はどんなプレゼントが来るのか?
日捲りカレンダーを眺めながら
ゴルフ焼けした皮膚をめくり、頭脳は、めくり捲り状態です。

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先日、親戚の乳児を3日間ほど預かり
21年前の愛娘以来感動に浸りました。
この親戚の乳児は、母親が子供を出産後即離婚したため、
男性に抱かれ事はなかったので 最初は俺を見て戸惑っていました。
そうこうする内に興味が湧いてきたのか段々と寄り付いてきました。
抱き上げ、あやしたりしている内に馴染んできて、
俺が少しでも他の場所に移ろうとしたら這い這いし、追いかけて来るまでに成りました。
5人の子供を育てたのは伊達でなく、
抱き上げたり、タカタカしたりしていると腕にすんなりと吸い込まれて来ました。
その乳児の笑い顔と真っ白くて穢れのない目、プヨプヨの手足、
きめ細かくて滑らかな体を抱き締めているだけで幸福感を感じました。
まだ立ち上がって一人では歩けない8ヶ月程度の乳児なので
転んでは起き上がり、転んでは立ち上がりと何回も何回も挑戦し続け、
俺がヒヤヒヤするほど自らの力で立ち上がろうとする本能に感動しました。
更には、俺が二階に上がり離れていると階段を一人で登り始めました。
フロアーは、大理石で出来ているので万一転べば大事故に繋がりますが、
そんな事も一切気にせず這い這いしか出来ない乳児が階段を4段まで登りました。
あわてて駆け下り抱き締めましたが、冷や汗がどっと出ました。
大人には、今までの怪我や嫌な経験など、
体験した事が、びっしりと脳裏に刻み込まれています。
でも、乳児には、転げ落ちたらどうしようとか?
恐怖心、びびる、竦む、等のネガティブな感情、心は全くありません。
転んでも転んでも立ち上がり前に向かって一歩一歩確実に進み、
痣が出来ようが、擦り傷や火傷をしようが……不安な気持ちは全くなく
失敗しても挫折しても挫けても、他人がどうであれ、
自分の好きな事、本能、野生、欲望に導かれるまま自然に行動し、
泣いても泣いても乳児たちは満面の笑顔を見せます。
そんな赤ん坊を見つめながら、
俺は何時頃から乳児の本能、才能を忘れてしまっているのか?
自答する日々でした。
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先2007年の2月からこのブログを書き始めて
色々な方々から、何時も読んでいますとか、
面白い、ユニークな発想だとか、お褒めの言葉を戴いたり、
このごろはアップ出来ていない、とかお叱りも戴いているお陰で
2年間も継続できている力になっています。
毎週、毎回、アップされているかどうかを気にしながら
このサイトにアクセスして戴いている読者の為にも
人気のあるブログは、どんなものなのか?
気になり始め 数々の人気ブログを調査、検証しました。
判明したことは、今の事、最近の現象や事柄、私事、事件を
筆者が、思って事、感じた事として、素直にコメントと併せて書かれている。
タイトルがキャッチーで、写真を多く使い、綺麗で見やすい。
レイアウト、デザインも良く、読みやすく、印象、イメージが良い。
今の俺のブログは、正しく180度違う方向、
同じ環境、温度でも北極と南極との差、右翼、左翼、のぐらい差がある事が解った。
俺のブログは、俺の生い立ちから始まり過去の話が主体で、
直近の事柄はほとんどない。
俺のブログのバックの色は、黒色ですが、
サイトで黒色を使っているのは殆どがエロ、グロ物ばかり。
デザインが、いまいちだけど バタ臭さが良いという読者もある。
『オレ、森だけど聞きたいことある?』のタイトルでは、検索に掛からない。
Singaporeとか海外とか起業家とか検索言葉が必要。
写真がない。最近は掲載する様に努めているが、
写真が嫌いなタイプなので、カメラも買った事がないし、カメラを持っていない。
そこで家や事務所の引き出しを片っ端から空けて、昔の写真を見つけ出しました。
来週には懐かしい写真、時代が判る写真、米国時代の写真などを
ブログに併せてアップしていきますので、請うご期待!。
久しぶりに昔の写真を見て、お腹の周りを摘み、
ズボンのベルトを引き締めてしまいました。
メタボではないと俺自身思っていたが、
若い時の写真を見れば見るほど、
歳には勝てない~と嘆きたくないもう一人の俺が、
あまり余った体内脂肪を出てきました。
死ぬまで挑戦者、トコトン突き進まないと満足しない
俺、森がどう行動するかこれまた期待を!
古びた映画館と同じ様な、期待の2本立てでした。
誰も期待していなくてももう一人のオレが期待している。
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FM放送の番組内で、ゲストに「趣味は何ですか?」とよく聞きますが、先日ゲストから「森さんの趣味は何ですか?」と反対に聞かれました。
即座にスポーツ全般、特にゴルフと言い、それ以外にアンチエイジング(これは趣味にならないか~)もと言いましたし、更にコレクションとも言いました。
SINGAPOREで始めたコレクションはアンティークの家具類で、引越ビジネスの延長から始まりました。
色々な外国人のお宅に行き、海外引越の見積もりをしていると、親子代々に引き継がれた家具を持ち運んでいる駐在員を多く見かけました。
歴史を感じる装飾のされたキャビネットや大きなダイニングテーブル、使いこなされた猫足の椅子など、普通の日本人宅では見られない、素晴らしい家具類でした。
ビジネスの一環で梱包したりしている内に、どの様な素材で作られたのか、昔の職人が、どんな工夫をして製作したかを調べていくうちに、どんどんとのめり込みました。
特に当地でしか手に入らないノニャ(土着のマレー男性と結婚した中国本土から渡航した中国人との混血文化)関係の家具を多く集めました。
ガラスの代わりに大理石を使ったテーブル類、当地の気候にあったお尻があたる所をメッシュにした椅子、昼寝の出来るソファー、キャビネット、洋服ダンス、大鏡、姿見など家が古い家具で一杯になりました。
更にコレクションに拍車が掛かったのは、取引のあった美術品を欧米に輸出していた骨董品店が、輸出梱包代を6カ月も未払いにしたため裁判に訴えた時です。
過去に訴えられた経験があるので、どうすれば勝訴できるかは沢山の知識があります。そこで即、骨董品店の美術品を差し押さえをしました。
未払い金は戻らなくても、商品さえ差し押さえれば俺の物で、最終的に裁判所がオークションを認定し、俺が格安で競り落としました。
競り落とした内で、良い家具類は今でも使用していますが、SINGAPOREの裁判所が差し押さえシールが残っています。
シールを剥さないのは、取引先が長い間残金を支払わずに回収出来ない事は、相手が悪いのではなく、完璧に仕事をこなさなかった俺が悪い、代金回収を怠った俺が悪い、取引先の経営状態を掌握しなかった俺が悪いと、自分を戒めるためにいまだに裁判所の差し押さえシールを貼ったままにしています。
未だに持ち続けている、33年も前に買った服とは、京都の大丸で購入したアーノルドパマーの傘のマーク、当時は、熊などの動物を始めワンポイントマーク付きが大流行したシャツです。これを着て日本から旅立ち、PAYA LEBARの飛行場(CHANGIではなく昔の飛行場)に到着したのは、つい最近の様な気がします。 毎年、衣服の整理をして サイズが合わなくなった物や要らない物を処分していますが、どうしてもこのシャツだけは、処分できずワードローブの端に今でも掛かっています。 流石に33年も前に買ったので 胸、腹周りのボタンが留められないシャツです。 ビジネスが上手く行かなかった時、解決策が浮かばない時、悩み苦しんだ時にこの半袖シャツを奥から引っ張りだして 眺めているだけで気持ちの整理が出来ます。 無一文、裸同然で1枚のシャツとスーツケース1つだけで降りたSINGAPORE、壮大な夢を抱きながら失敗し挫折し、挫けて、責任を放棄し逃げ出そうと何回も思いながらも、踏みとどまることができたのは、又、無一文でこのシャツを着て、日本に帰ればいい、失う物は何も無いと、思うことができたからです。 大和魂、プライドを捨ててまでも海外で踏みとどまりたくない、捨て身の人生、崖っぷちの生活を経験してきたからこそ、心底から思える事です。
更に夢の実現、必ず夢を叶えると思う力、想念が、誰よりも人一倍大きかったからだと思います。叶えるという字は、漢字のままで、口で十回以上唱える。夢を皆の前で10回以上唱え続ける事が夢を叶えるのです。 人からほら吹き、幻想家と言われようが、恥を恥とも思わず信念を貫く事があらゆる事柄を達成する為の条件です。 公言して、10回で叶なわなければ、100回、千回、1万回、10万回と、強い意思を持って100万回、1000万回唱えれば、必ず叶います。 叶わない物は、この世にないと思い願い続ける事が、成功の秘訣です。 |
2009年10月14日に、天皇皇后両陛下と会うことができ(50、60センチの息が掛かるぐらいの距離)、更に皇后陛下から労いのお言葉まで戴きました。和服をめされた皇后陛下の高貴な美しさとロイヤルファミリーの持つ威厳、言葉で表現できない後光を射すようなオーラーを体の全体に感じ鳥肌が立ちました。 翌日の15日には、外務省の飯倉公館で岡田新外務大臣と挨拶交換が出来、ツーショット写真(天皇皇后両陛下にお会いする時は写真撮影は厳禁)も取れました。 こんな機会に恵まれたのは、俺が海外日系新聞放送協会の副会長を3期6年も務めていて、今期も継続しているお陰かも知れません。 この協会は、財団法人海外日系人協会の下部組織で 世界中の邦人新聞、放送に携わる者同士が、毎年に日本か海外で大会を開催し、今年で36回目を迎えています。同時に海外日系人大会も開催されていて本年は50回目を迎えました。 海外では、300万人の日系人が世界で暮らしていますが、海外日系社会と日本の結び付を高め日本人としての誇りを持ち世界と日本の架け橋となる民間大使の役目もあります。 100年も前にブラジル等南米、北米に移民した移住者、その子孫、二世、三世、四世まで 海外から20カ国、200名にも上る方々が参加されました。 第二次世界大戦で 廃墟となった日本を救う為、基金をつのり、食料や衣服などを送った海外の日系人の方々に感謝する為に 名称を国連加盟、海外日系人親睦会大会として 開催されたのが、1957年(昭和32年)でした。 天皇陛下は、皇太子時代の1969年の第10回大会にご臨席になったのを始め、1974年、1979年にもご臨席になり、1984年には皇太子妃美智子殿下にもご臨席いただき、1999年は、天皇皇后両陛下としてご臨席になりました。 日系社会と日本とのネットワークと交流の促進、中南米の日本語教育の充実、日系人のアイデンティティの確立、在日就労者問題、在外選挙の拡大と充実など掲げていて、俺は海外選挙区の創設を唱え皆と活動しています。 俺も10年前から参加していますが、荒野を開拓し、病魔との闘い、異国の良民となり、子孫に意思を繋いできたご苦労された先人、先輩からの会話を通じ、大和魂を増殖させていますが、今回は、なんとも言えない感激に慕っています。 |
最近、なんとも言えない恐ろしい事に遭遇しましたが、強運の星の下に生まれたお陰で無事ブログをアップしています。それは、10月25日、日曜日の10時15分頃にチャンギ飛行場にあるタナメラ・カントリークラブのゴルフ場での出来事でした。 常連の仲間達とゴルフをしている時に、何の前触れもなく突然北の方向から黒い雲が現れ2回ほど雷が鳴りました。 雷警報が、全く無く驚いている間に、更にもう1回俺の近くで雷が鳴ったと思った瞬間、耳を突くような大きな音と共にピカドンと雷が落ちました。 一瞬何が起きたか解りませんでしたが、そばで落雷したのだろうと思ったら60メートル程度離れた17番のロングホールで 地元の人が奇声を上げました。 てっきり誰かがイーグルでも出したのかな思いましたが、続けて「ヘロプ、ヘロプ」と言いながら両手を廻したので 駆けつけてみるとプレーヤ一の人が、グリーンのエッジに倒れこんでいました。 傍には、帽子の半分が、千切れ千切れに飛んでいて、地面にモグラが居たような隆起し焦げくさい臭いが立ち込めていました。 雷が帽子の留め金に落ちた事が解りましたが、俺はどうすれば良いのか全く解らなく呆然と立っているだけでした。 意識もなく、呼吸もしていなく、心臓も停止した状態なので、同じ組でゴルフしていた二人が、心臓マッサージを開始しましたが、意識不明のままで救急車を待つしか方法はありませんでした。 俺は、とりあえず散らばったゴルフクラブやカートを整理し、他の人を励ます以外何も出来ませんでした。 そうこうする内に救急車が来て、落雷にあった人を乗せましたが、サイレンを鳴らさずそんなに急がず病院に向かいました。 後日の新聞記事で病院に到着する時に心臓の鼓動を動き始めたが、意識不明のまま緊急治療室で治療を受けていると判明しました。 いち早く回復されることを祈る毎日ですが、間一髪で俺は危険から逃れられました。奇跡の背景には、こんな事がありました。 1)毎週日曜日のスタートする時間は、08:19AMで この日は、既に予約済みでした。 落雷に遭遇された人は、本来俺たちがプレーする08:19にスタートしました。 2)その日の朝、常時付けているアクセサリー(18金のネックレスとブレスレット)を何かする気がしなくて外して行きました。皆からは、今日は何時もの派手さがないね~とからかわれました。 3)15番ホールで 俺は、ドライバーショットを池に入れ、打ち直しをバンカーに入れ、次のショットは、更にグリーンの奥のバンカーに入れ、今度は、グリーンオーバーのショットと10打も打ってしまいました。 同じ組でプレーした友人たちは、パーやボギーで上がり、俺は、ふて腐れて皆の後を歩いて 最後列にいました。それが、落雷場所に一番近くに成ってしまいました。 4)その日はゴルフは中止して、テラスで皆と生還酒盛りで体を清めていましたが、翌日、宝石箱に仕舞っていたネックレスをしようとしたら、何時も虎の牙と虎の爪の間に生まれが巳年なのでお守りとして付けている、金製の蛇のペンダントがなくなっていました。蛇が身代わりに成ってくれたとしか思えません。 今まで 幾多の危険な状態になり命からがら生還してきましたが、この日程、誰かが、俺を生かしてくれている、見守ってくれていると思った日はありません。 雷の巨大なエネルギーより 俺の生命のエネルギーが、勝った日でした。 |
雷の遭遇から命拾いし 色々と考えました。結論は、直感を如何に大切にするかです。頭いくら考えても 宇宙、大自然とは闘えません。 昨今、頭脳学者の茂木健一氏(TVの出演料や著書の印税等、3億円を全く申告せず東京国税局より1億数千万円追徴された。この脳科学者の大脳の中には税金を納めると言うワードがないのか??)や、苫米地英人氏が、頭脳に関して数々の本を出版しており そのほとんどを読みましたが、直感は頭脳から出るものではなく、体全体で出るもの。特に腹から出るものと思いました。 腹の内に頭にある頭脳みたいな 腹脳があると思います。人間の進化から考えても アメーバーやミミズは頭脳が無くても 何かを食べて排泄し 雄であり雌でもあり、合体?させ、細胞を分裂させ、成長して行くので 腹の中に脳がある筈です。 古代の人間も 生き伸びるために まず頭脳より食べることが優先された筈で、そこからより進化して 狩りの技術を伸ばすため頭脳が発達していったと思います。 その証拠に今も脈々と言葉で、腹がいかに重要であるか表現されています。腹をいかに大切にすべきか、昔の人は知っていたのでしょう。 ●「腹」がつく表現で一般的なもの 腹持ち(が良い/悪い)、腹がたつ、腹に収める腹を据える/据えかねる, 腹黒い、腹を決める、腹をくくる、腹を探る、腹芸、腹を切る、(私)腹を肥やす、腹を割って(話す)、腹を痛める、抱腹絶倒、腹太鼓 ●ことわざでよく知られているものとしては…… 腹が減っては戦ができぬ、 腹立てるより義理立てよ、腹に一物(心中ひそかに、何か企みを抱いていること) ,腹の皮が張れば目の皮が弛む、腹八分に医者いらず、 背に腹は変えられぬ、茶腹も一時(ちゃばらもいっとき)、痛くもない腹を探られる、 空(す)き腹にまずいものなし 頭が痛くなると同じようにお腹も痛くなる、頭を使えば、腹も使う、これからは、頭脳だけでなく腹脳も鍛えれば鬼に金棒です。 でもお腹を出して寝ていると雷が、お臍を取りに来るのでご注意を! 本当に雷は怖い! |
我ながら 俺は好奇心の巨大氷山級の塊だと思っています。今回の写真は、上海で経験した眼の洗浄です。 先月に上海に出張した時は大変寒く、体が膠着状態だったので体と足のマッサージをうけるために出かけました。 そのお店で見つけたメニューの中に 30分、料金60元の洗眼鏡というメニューがあったので大変興味が湧き、どんなことをするのか色々と聞きました。 マッサージしてくれる人は男性で、この洗眼以外に耳掃除、耳のマッサージ、踵の角質取りを専門にしている人でした。 聞いてみると人間の眼は、常に大気(上海は大気汚染がすごく、長く滞在していると眼がかゆくなる)にさらされてどうしても汚れる。 汚れた眼を洗浄するのは目薬などしかないが、それだけでは長期間に貯まった埃や塵は取れないので定期的にこの洗眼鏡のコースで 長年貯まった塵、埃などを 強制に排泄すれば、眼は生き生きとし眼の切れ目が大きくなると説明されました。 一緒に同行した上海の女性スタッフもそれを聞いて 私もしたいと言いましたが、洗浄するための器具を見て 急にビビリだし、今回は辞退しますと尻込みしてしまいました。 俺は、好奇心が人一倍強いので 面白いと即思い、施術してもらいました。 最初に目薬をさされ、つぎに耳垢掃除に使うような写真の器具で 鼻の両サイドの目頭に器具を入れてぐりぐりと掻き廻すと膿みたいなものがドロドロと出ました。 出てと言っても俺には見えなにので スタッフにどんなことをされているのか細かく実況せよと言い伝えたので、上記はスタッフの表現です。 両側の目の隅をグリグリした後は、目の表面を器具でなぞられ、その後目を全体をマッサージしてくれました。
終わった後は大変気持ちよく、眼の両側が大きく開いた感じでなんとなく眼が大きくなった様な気がしました。 弊社が発行する、無料誌のJ+PLUSでも色々な体験を挑戦していますが、中国の健康に対する考え方は、不老長者を願う皇帝から来ていることがよく解ります。 これからも 何事に対しても貪欲に挑戦して行くぞ! |
新年明けましておめでとうございます。
2010年は、CROWN LINE GROUPの創立30年を迎えます。21歳で USAに渡航した時と同じようにスーツケース1個だけで SINGAPOREのPAYA LEBAR AIRPORTに足を付けたのは、今から33年前です。 米国系の運送会社に就職し 月給はUS$500で住宅手当もなく オーストラリア人に家に居候(掃除と朝食を作る条件)し 車もなくホンダのカブで スコールにも負けず、バスやトラックの廃棄ガスで ワイシャツが1日で真っ黒くなりながら毎日、毎日、来る日も来る日も 最低6件の飛び込み営業廻りをしていました。 それから1年で 営業成果を認められ大きな家に住め、交通手段もバイクから車に変わり、名刺の肩書きも、勤務して3年目には平社員から日本人地域統括責任者兼SINGAPORE副支店長まで登り積めました。 貯金も出来る様になり、2年に1回、日本に会社負担でホームリーブ帰国出来る様にも成りました。 でも仕事をやればやるほど、業績が上がれば上がるほど、米国式の経営と日本式の経営の狭間、葛藤に悩まされる日々が続きました。 金融のリーマンショックではありませんが、お金だけが全てではない、本当に日本人のお客様から愛される様に成りたい、海外生活で困っておれれるあらゆる事をお手伝いしたい、海外勤務をもっと楽しんでもらいたい、喜んで貰いたいと思い、日本人による、日本人の為の、日本の引越会社、CROWN LINE PTE.LTD.を設立したのは、丁度俺が26歳から27歳になる1980年の3月でした。 貧しい家ながら姉妹達と和気藹々の楽しく 若い時代を過ごしましたが、30歳未満で念願の1国1城の主に成り、正しく豊臣秀吉と重ね合わせていました。 古代の人間に埋め込まれたDNAの体内時計は、歳と取るにつれて 時間が早まるように設定されていると思うので このSINGAPOREでの生活した33年、会社設立した30年間は、光陰矢の如しとしか言えません。
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| さて今年2010年の目標ですが、3項目あります。
まず1項目は、昨年10月に香港でライセンス契約出版した講談社BC発刊の『ベストカー』の英語版とタイ語版をSINGAPOREとバンコクで出版する事です。 2項目は日本の伝統であるおもてなしのサービスと古来からある商品とのコラボです。 そして3項目目は、今まで日本では無かった、成り立たなかったサービスの確立です。 |
1月7日のブログに掲載した新年の挨拶の中に米国に21歳で渡航した時に使用したスーツケースの写真を掲載しましたが、読者の方から見たことのないスーツケースですねと言われました。
それもその筈、自作のスーツケースです。
日本の海外旅行の自由化は1964年(東京オリンピック開催年、東海道新幹線開通年)4月にスタートしました。当時の外貨持ち出し制限は、US$500(360円固定相場)で銀行に行き両替したらパスポートに両替済みと記載されました。俺が渡航した74年もUS$500のみで 腹にさらしを巻いてその中に闇で買ったUS$と日本円を入れ込んで行きました。
海外旅行時代が始まるとまず購入するのは、スーツケースですが、日本のエース株式会社が米国のサムソナイト社と技術提携し製造販売したのもこの年からでした。
当時のスーツケースは、横型で キャスターも付いていませんでした。
日立製作所に18歳で勤務し、サラリーマンには向いていない自分を発見し米国に行こうと決めたのが1972年でした。
信念を曲げない為にも即、スーツケースを買い毎日眺めて気合を入れようと思いましたが、あまりにも高くて買えず、やむを得ず自作する事にしました。
購買課に勤務していた日立製作所の取引先に、アルミ関連を製造、販売している会社があったので軽くて丈夫なジラルミン製の箱を購入してそれをスーツケースにし、底にキャスターを付けました。
今では、有名ブランドに成ったエースのスーツケースですが、キャスター付きのスーツケースを製造販売したのは、俺が自作した同じ年の1972年だと後で判明しました。
キャスターも勿論、今の高級スーツケースに使用しているジュラルミン製のスーツケースは、俺が世界で始めて開発し、利用していたと自負しても良いと思います。
この自作したスーツケースの為、ハワイの税関で今まで見たことのないスーツケースなので麻薬等を隠し持っていると思われ徹底的に調べられました。
何も出てこなかったので 税関員は、このスーツケースは日本で販売しているのかと俺に聞き、俺が自作したと言うと親指を上げて“GOOD JOB”と言われました。
パテントでも取っておけば……???$$$$と思うこの頃ですが、そんなスーツケースなのでSINGAPOREにきた時のワイシャツと一緒に今でもKEEPしています。
2月13日で 57歳の誕生日を迎えました。
誕生日の翌日は、バレンタインデーで 毎年忙しくしていますが、
今年は中華正月と重なり更にアポ調整が大変です。
今年は、今までに貰った事がないマジヤバ超超面白いチョコレートを山ほど戴き感激に慕っています。
関西出身の俺にとってはこれらのチョコは、心と口を溶かすどころか頭もメロメロにさせてしまい トロトロ状態です。
パッケージは、まるで本物そっくりでパクリもいいところですが、なんとも言えない関西風味満載のユーモアがパッケージの裏表まで 洪水状態的に溢れています。
コピーの一部を紹介すると
・君といつまでもお熱チョコ! 効能は、チョコをおでこに貼ってから、チョコを食べると2人の間にほかほかするかも?
・恋の疲れに、これ一粒 愛のビタミン主剤 チョコI♥L 心に働く活性型ラブビタミンが恋の細胞を活発にしていき、愛のリズムを整える効果があります。
・恋源 コイゲン 恋愛総合補助甘味菓子 恋してまんねん
・完熟女のイヤシライスの素 人生のひかりをたっぷりあびた完熟女のおいしさ
・ガセネタ10 パパラッチ推進薬 1回1ネタ 10万円?有名女優00電撃離婚。。。。。
これ以外にボインカレー アゲX2度、ポット!サセルバン、いちばんキになつとう 超愛情3パック、細マッチョイケ麺 元祖男前 、男前一筋 肉食系イケ麺。。。。。。
もう食べるの勿体無く、買い物カゴに入れたまま事務所に飾っています。
本当にこのチョコ プレゼントには、やられました。

鳩山政権が発足して 3月16日で半年になります。当初支持率は80%近くあったのが、今では半分以下の37%程度まで下落しています。
更に弟の邦夫氏が自民党を離党し、新党を結成すると宣言しました。野(や)党、与(よ)党と対決せずに、や行になぞらえ、争わず(や)と(よ)の間の癒(ゆ)党をぜひ設立して欲しいと思いました。
日立製作所の勤務時代には労働組合に熱を入れていたので その頃から政治に興味を持っていました。そのため30年も前から俺は、海外党、和僑党を結党すると公言しています。
そんな事を酒を飲んだ時に常に社員に言っていたので(社員は大法螺と思っていますが……)、57歳の誕生日祝いに、社内で粋でびっくりする面白い事をしてもらいました。
会社の会議室を、「海外党を創立し総選挙に当選した仮想選挙事務所」として衣替えし、夢を実現させてくれました。
選挙に付き物のポスターだけでなく、襷、達磨、バラの花、くす玉、日本酒と一揃え整っていました。
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俺のブログに反応したのか? 自民党の長老平沼、与謝野、園田議員たちは、新党「たちあがれ日本」を設立しましたが、今更立ち上がれ言っても国民は別として本人たちは、杖がないと立ち上がられない年齢70代の高齢政治家達。
歌舞伎役者や茶道、華道の家元と同じ様な二世、三世の世襲政治家達も溢れるぐらい存在していますが、自民党の河野太郎氏は、SINGAPOREにサラリーマンとして駐在していましたので 当地で会う機会も多く有り 海外引越も受注しました。
彼のような海外(特にSINGAPORE)に勤務、留学した経験のある人なら今の日本を変えられる気はします。
自民党総裁選挙にもあの若さ(SINGAPOREの首相と比べれば、そんなに若くない)で自ら立候補し、谷垣氏に残念ながら大敗しましたが、当地に居た経験上から立候補したと思います。
「たちあがれ日本」と叫ぶ政治家たちに「たちされ長老」と海外から叫びたい。
引越会社が、梱包資材として利用するプチプチ。通称バブルラップ、エアークッションは、50年前に米国で発明、開発された気泡緩衝材です。
軽くてかさばらず、荷物が透けて見える為、紙やコルゲート紙に変わって、色々な方面で使われ流行しました。
当初この資材は大変高価なので コンピューター等の輸送に使われていましたが、実験の為、俺の国内引越に使い直接家具等に巻いて輸送したところ、時間の経過により家具にプチプチ模様が付いてしまいました。
これ以降使用のマニュアルを作りましたが、競合他社は、そのまま家具に巻きつけ日本まで輸送した為、大きなクレームが発生したと聞いていました。
このプチプチ資材は、腹が立った時やストレスが溜まった時に指先で気泡をプチプチと潰していると 昔飼い猫の蚤とりをしてるような気分になりリラックス出来ました。
特に大きな気泡をつぶす時は快楽倍増で 、一番頭に来た時は、シートを雑巾の様に絞りパチパチと連続して音を発てていました。
CROWN LINEも今年で創立31年目に突入しましたが、プチプチのお陰で、び割れ、破損等の輸送事故が大幅に減少しただけでなく、俺のストレス緩衝、緩和材にも成ったので、これからもずっ~と愛するプチプチです。
長らくブログを更新できなくて、お叱りのメールや「事故や体調不良ですか?」との質問までいただきました。
更新をしていなかったのは、更新する意欲が全く無くなってしまったからです。
今まで経験した事の無い、一種の欝状態が1カ月間以上も続きました。
原因は、つい最近までピンピンと元気に一人暮らしをしていた84歳になる母親の病気です。
4月始めに体が浮腫(むく)み、足が腫れた状態が続いて、「胸が痛い」と言うので、近所に住む妹が病院まで連れて行きました。心臓に不整脈が出ており、即ペースーメーカーを付けるようにと医者に薦められ、直ちに埋め込み手術を行いました。
母親は、37年前に腎臓結核で片方の腎臓を摘出手術(もう少し手術が遅れていたら死んでいました)していますが、それ以来、健康で病気もせずに元気に暮らしていましたので、晴天の霹靂状態でした。
定期健康診断も特にしていなかったようなので、この際に全身の健康診断検査をするように、姉と妹に指示を出したところ、3日後に姉が涙声で電話を掛けてきました。
涙声を聞く前に、電話を受信した時から既に不吉な予感がしました。
「大腸に大きなポリープが数カ所発見された」というのが精一杯の姉でした。
今年2月に京都の実家で会った時、元気だった母親は、俺に酒の飲み過ぎないように、ストレスをためないように、といつものように注意していましたが、自分の体調変化には心配を掛けないように元気な振りをしていただけだったのか?
姉との無言の会話が続きましたが、さらに精密検査をしてもううように指示することしかできませんでした。
ペースーメーカーを埋め込む手術をした後、すぐに癌の疑いがあるから精密検査をするということは、母親の体に大きな負担を掛けることになるので 姉と妹は反対し もし精密検査を受けさせるなら、そのことを承諾させるのは、長男の俺の役目だと言われました。
過去57年間、何度も深い谷底状態に落ち込む時はあっても 必ず這い上がって来た俺が、食欲もなく、ほとんどの欲もなくなり、欝状態を初めて経験しました。
SINGAPOREに生活して33年、米国との生活も入れると35年間も京都、母親から離れて、俺の欲望の実現のため、親不孝して来たと思うと何も考えられなくなりました。
(続く)
俺の84歳になる母親は、昔ながらの京都の衣笠(金閣寺の近く)に、森家(親父は養子)の長女として生まれ、当時としては良家の娘しか行かなかった高等女学校を卒業しました。
俺の祖父は、写真でしか見ていませんが、髭を蓄え芸術家気取りで沢山の絵を書いて(俺は幼い時に箪笥から引き出して見ていました)いても何不自由なく生活していました。
家には「おなごしさん」という、今でいうメイドが住み込んでおり、母親の趣味は料理とクラシック音楽で、正真正銘の良家の長女として育てられましたが、18歳になる前に両親が結核で一度に亡くなり、2人の妹と突然社会で独り立ちしなければならなくなりました。
不動産や資産は沢山あったのですが、未成年のため、親戚・縁者達が、長女の俺の母親に相続させず、親戚が資産管理してしまいました。
その結果、母が成人した時には財産が全て食いつぶされて無くなっていました。
そうとは知らない俺の親父は、森家に婿入り養子しました。
俺が幼い時、親父は大酒の飲んでは、森家に財産がたんまりあると思い、自分の姓を捨てて婿入り養子になったのに……と、いつも森家に騙されたとぼやいていました。
母親が不遇な運命を背負い生きて行かねばならない人生が、この時から始まりました。
それでも愚痴を言わずに慎ましやかに生活していましたが、俺が小学校4年生の時、母親は重い腎臓病を患い、片方の腎臓を摘出する大手術をして一命と取り留めました。
入院生活が4カ月以上も続き 俺の2人の姉は中学校2年生と小学校6年生で炊事、洗濯を母親代わりに行い、俺は幼稚園児の妹の世話をしていました。
そんな時は不幸が不幸を呼ぶもので、親父も仕事を失い、高い手術費・入院費負担に育ち盛りの子どもたち……。とうとう森家は、どん底の生活を強いられました。
子どもの給食代なども支払うことができず やむをえず父親は生活保護を申請して何とか生活ができましたが、学校では「給食のただ食い」(2人分の給食! 幼稚園に通う妹のためにパン等を持って帰っていました)などと言われて惨めな思いを沢山しました。
学校遠足があった時は、数個のおにぎりだけの弁当。親父の強い握力で作ったおにぎりは、喉に詰まり食べられなかった記憶が、今でも残っています。
少しでも家計を助けたいのと同時に、自分の小使いが欲しい、好きな物を食べたい、買いたいと思い、俺が新聞配達のアルバイトをしたのはこの頃からです。
幼い子どもたちを家庭に残し、母親としての務めもできず、困難な暮らしをしながら、闘病生活していた時の母親の心境は、幼い時には解りませんでしたが、自分で子どもを持った時に初めて理解でき、困難なことに立ち向かっていた母親を心から尊敬しました。
母親は大病を患いながらも、いつも笑顔を絶やしませんでした。台所や物干し台からクラシック音楽を口ずさむ母親の姿は、脳裏から離れることはありません。
母が本当に偉大であると思ったことは、他にも沢山あります。
俺の人生の節目節目で、母親の言葉が俺の背中をドンと何時も押してきました。
俺が工業高校を卒業し、日本を代表する大企業の日立製作所に就職した時、親父は近所の人達や親戚に大いに自慢していました。
でも俺は3年後に大企業の学歴社会構造に嫌気がさし 日本でのサラリーマン生活をやめUSAに留学しようと思いました。
資金など色々と悩み続けていた時、母親に「この頃何を悩んでいるの」と聞かれ、何故悩んでいることが分かったのか?と驚きながら、日立製作所を退職し、京都、日本を離れてUSAに行きたいと思っている事実を言うと、てっきり大反対すると思うっていたが、「お前はまだまだ若いから冒険をしなさい!頑張屋のお前なら、海外でも何処でも生活できるはずや! 日本男児なら海外で飛躍しろ! 応援する! お父さんには今言ったら絶対反対するから、日本を離れる2週間前くらいに言ったほうがいい」とまで言ってくれました。
その言葉で悩みが吹っ切れ、上司に退社届けを提出できました。
USAに着いてからも毎週毎週、母から応援の手紙が届いていたので なんら誘惑にも負けずに生活できました。
VISAの問題で USAから夢の凱旋帰国が達成できずに帰国し、再度他の国で挑戦しようとSINGAPORE行き決めた時も、親父は「お前が渡航するのはまだ早い。無理と言ったやろ! 京都でこれからも生活して地道に生きろ」と言いました。
でも母親は、1回ぐらいの失敗でくよくよする息子とは思っていないので、どんな事があってもSINGAPOREで夢の現をしなさいと言ってくれました。
そしてSINGAPOREに来て、妻との結婚を決心した時に両親をSINGAPOREに呼びましたが、既にその時、母親は何かあったと確信していました。
昔のPAYA LEBAR飛行場に、妻と一緒に両親を迎えに行きました。
到着後、初のご対面となった時、親父は妊娠腹のマレー人女性を見て、驚きで目を丸くして一言も発せず立ち尽くしていましたが、母親だけはすぐに駆け寄り、妻のお腹をさすり「おめでとう、おめでとう!」と祝いの言葉を掛け続けてくれました。
GERAT, ADMIRABLEな母親です。
母の癌手術も無事終わり、来週には元気よく退院できる様になりました。
ドクター曰く「今まで数多くの手術をしてきたが、手術室に入る前の患者で俺の母親ほど穏やかな表情している患者に会ったことがないとのこと」。普通なら恐怖や心配で何も言えない患者がほとんどなのに、手術をする前にドクターと看護婦さんたちに「よろしくお願いします」と笑顔で言ったそうです。
お陰で手術でも体が膠着することもなく、出血も少なく、予想のほか順調にでき、明るく楽しく(?)手術が完了。
手術後も毎日毎日多くの人たちがお見舞いに来て、他の患者さんたちに羨ましがれるほど。
リハビリでも笑顔を絶やすことなく、男性患者が大声を出したり、看護婦さんに無理難題を言うのをたしなめたりしているそうで、病室の雰囲気が変わったとまで言われました。
母は、歴代の首相や母が好きな落語家の桂文珍と俺が一緒に撮影した写真などを家に飾ったりしていますが、先日母の部屋から俺が30年前に送った誕生日記念のカードを見つけました。
それは、SINGAPOREで会社を設立し、一国一城の主となった証として、「社長」と記載された会社の名刺の裏に誕生日のメッセージを書いた物です。変色していましたが、とても大切に保管してありました。
俺の夢の実現のスタートを祝いながら、無事健康で過ごせるように母が日本から祈っていたことがよく分かり、涙が止まりませんでした。
今年も既に半年が過ぎ去り、後5カ月とちょっとで正月を迎えますが、今年の初めに立てた年間計画は、ほぼ順調に進んでおり、当初の計画を70%程度達成した感じです。
ブログでは書きませんでしたが、新しいサービスモデルを日本に提案し、その案が取り入れられて今月からスタートするようにこぎつけられたことには、今までにない喜びを感じています。
さらにそのサ-ビス案の延長で、今度は日本のファッション、アパレル商品をアジアで展開する計画も生まれました。
世界的に異常気象現象が現れていますが、氷河時代が来ようが、灼熱が続いて地球の大半が水没しようが、俺は何処かで生き延び、何処かでビジネスができることに確信を持っています。
年齢を重ねれば重ねるほど、アイディアは研ぎ澄まされるようになり、さらに今までの経験を生かして無駄なこともしなくなったことで、計画から達成までのスピードが早まっている感じを受けています。
まだまだ新しいこと、嬉しいこと、楽しいことを見つけて達成していくぞ!

毎年8月の下旬に日本へ行っていますが、今年ほど観測史上新記録の猛暑の日々が続いたのには体が驚いていました。
ドバイにも事務所があるので度々出張しますが、事務所と会社訪問の往復は車での移動で、道路を歩くことはないので気温40度以上でも耐えられます。
ロシアの冬も同様で、どこへ行くにも車移動。施設内は暖房が効いているので、夜に外で歩くことがなければ、それほど寒いと感じることはありません。
北京の冬と上海の冬を比較したら、上海の方がビル内に暖房施設が少ないため寒く感じます。
日本に行く前の7月中旬にパリ、ロンドン、デュッセルドルフ、アムステルダムと一廻りして来ました。パリ(カフェ等ではエアコンのないところが多い)では気温36度、ロンドンでも35度と記録的な猛暑を体験しましたが、東京の暑さに比較すればオチャノコサイサイ!
8月23日に銀行で諸手続をしなくてはいけなかったので、宿泊ホテル先の近くの大手銀行に炎天下の中、歩いて行ったところ、その支店では外為取引ができないと言われました。時間がなかったのでJRに乗り(階段の上り下りがきつい……)、他の支店まで行きました。
その時点で頭から湯気が上がる感じで、全身汗まみれで担当窓口に行くと、いろいろな規制を言い出してきて、この支店でも取り扱えないので、本店まで行くように言われました。
すでに頭から湯気が出ている所へ、たらい廻しの対応をされて、頭から出る湯気が沸点を超えて蒸気に変わり、蒸気機関車の汽笛状態になりました。
「俺の金を俺がどこへ移動しようが俺の勝手や!」と言いましたが、規則は規則の一点張り。
そこで作戦を変更し、窓口のカウンターに身を投げ出して、「あの支店、この支店とたらい廻しにされたので熱中症になったみたいや~、水を……水を……」と叫びました。
出てきた麦茶を3杯飲み干し、「このまま本店に行ったら途中で倒れる! 明日の朝刊に『大手銀行の支店幹部が顧客をたらい廻し 熱中症で病院に搬送』というタイトルで記事が出るな~、ウ~ン」と独り言。
今度は冷水が出てきて、行員は「すぐ手続させていただきます」と言い、冷や汗をかきながら直ちに事務処理をしてくれました。
おかげで無事手続が完了。帰り際にはティシュと団扇をもらいました。
猛暑の中での10日間の日本滞在でしたが、いつもなら滞在中に2~3キロは体重が増えるるのに、この暑さのおかげで食欲が減退して、反対に2キロも体重が減りました。
夢の腹筋6パックもそんなに遠くはないと1人で悦に入っています。
どんな環境でもそれに文句を言わず、反対に良いことを発見するように努めれば、暑さも忘れてすがすがしい人生が過ごせますよ!