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2009年10月 アーカイブ

2009年10月01日

エルメスの裏地

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食欲の秋に寄せてという訳ではないですが、大阪には‘食い倒れ’という言葉があります。
この言葉は、日本中で有名ですが、関西には、食い倒れ以外にも各地に特色ある言い回しがあります。神戸は、‘履き倒れ’。神戸に多くの靴屋さんが存在していたの神戸は、坂の町なので他の都市と比較して靴やヒールーがちびりやすく(関西弁) 靴を多く買ってしまうので 神戸の履き倒れと言われました。

俺の生まれた京都は、‘着倒れ’と言われます。これは呉服問屋が多くあるだけでなく、遷都以来の着物文化社会で、京友禅、西陣織など着物全てが京都にあるからです。

高校時代、漕艇部のキャプテンを1年生からしていましたが遠征費用など工面する為に、OBが経営する染工会社(友禅などの染物を水洗いする会社)に、冬休みはバイトで働いてました。その時に気がついたのは、羽織などの表生地より裏生地のデザインの優れた物が沢山あることです。奇抜なデザインから奇想的な物まで 日本の芸術にただただ驚くばかりで 男のファッションは、チライズム、色気は、裏地にあると確信しました。

会社を経営する様になり、仕事着もジーンズから ネクタイにスーツ姿に変わりました。それに伴いオーダーメイドのスーツも毎年沢山作りましたが、どうしても裏地に懲りたいため、とうとうエルメスの大判スカーフを2枚買い、ポケットの裏地、襟の裏地までエルメスで仕立てしました。
銀座や赤坂に行き、部屋の温度は心地よいのに、この部屋は暑いと言い、さーと上着を脱ぐのはさながら‘遠山の金さん’が、肩の桜吹雪を見せると同じ感覚で、脱いでいました。
でも ドライクリーニングをする時に、ウールとシルクの収縮差と原色の多いエルメスのスカーフと背広の色との関係で同じ揮発剤が使えず、一度裏地を剥がしてからしか出来ないため、何処もドライクリーニングをしてくれませんでした。

背広の生地代、仕立て代より、エルメスのスカーフ2枚分の方が高くその時作った4着のスーツは、ゴミ箱に消えました。
でも 33年も前に買った物を今なお、保管しているシャツがあります。

2009年10月07日

33年前の半袖シャツ

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090907_a.jpg未だに持ち続けている、33年も前に買った服とは、京都の大丸で購入したアーノルドパマーの傘のマーク、当時は、熊などの動物を始めワンポイントマーク付きが大流行したシャツです。

これを着て日本から旅立ち、PAYA LEBARの飛行場(CHANGIではなく昔の飛行場)に到着したのは、つい最近の様な気がします。
毎年、衣服の整理をして サイズが合わなくなった物や要らない物を処分していますが、どうしてもこのシャツだけは、処分できずワードローブの端に今でも掛かっています。
流石に33年も前に買ったので 胸、腹周りのボタンが留められないシャツです。

ビジネスが上手く行かなかった時、解決策が浮かばない時、悩み苦しんだ時にこの半袖シャツを奥から引っ張りだして 眺めているだけで気持ちの整理が出来ます。
無一文、裸同然で1枚のシャツとスーツケース1つだけで降りたSINGAPORE、壮大な夢を抱きながら失敗し挫折し、挫けて、責任を放棄し逃げ出そうと何回も思いながらも、踏みとどまることができたのは、又、無一文でこのシャツを着て、日本に帰ればいい、失う物は何も無いと、思うことができたからです。
大和魂、プライドを捨ててまでも海外で踏みとどまりたくない、捨て身の人生、崖っぷちの生活を経験してきたからこそ、心底から思える事です。

090907_b.jpg 更に夢の実現、必ず夢を叶えると思う力、想念が、誰よりも人一倍大きかったからだと思います。

叶えるという字は、漢字のままで、口で十回以上唱える。夢を皆の前で10回以上唱え続ける事が夢を叶えるのです。
人からほら吹き、幻想家と言われようが、恥を恥とも思わず信念を貫く事があらゆる事柄を達成する為の条件です。
公言して、10回で叶なわなければ、100回、千回、1万回、10万回と、強い意思を持って100万回、1000万回唱えれば、必ず叶います。

叶わない物は、この世にないと思い願い続ける事が、成功の秘訣です。

2009年10月29日

50回目の海外日系人大会

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091029.jpg 2009年10月14日に、天皇皇后両陛下と会うことができ(50、60センチの息が掛かるぐらいの距離)、更に皇后陛下から労いのお言葉まで戴きました。
和服をめされた皇后陛下の高貴な美しさとロイヤルファミリーの持つ威厳、言葉で表現できない後光を射すようなオーラーを体の全体に感じ鳥肌が立ちました。

翌日の15日には、外務省の飯倉公館で岡田新外務大臣と挨拶交換が出来、ツーショット写真(天皇皇后両陛下にお会いする時は写真撮影は厳禁)も取れました。

こんな機会に恵まれたのは、俺が海外日系新聞放送協会の副会長を3期6年も務めていて、今期も継続しているお陰かも知れません。
この協会は、財団法人海外日系人協会の下部組織で 世界中の邦人新聞、放送に携わる者同士が、毎年に日本か海外で大会を開催し、今年で36回目を迎えています。同時に海外日系人大会も開催されていて本年は50回目を迎えました。
海外では、300万人の日系人が世界で暮らしていますが、海外日系社会と日本の結び付を高め日本人としての誇りを持ち世界と日本の架け橋となる民間大使の役目もあります。
100年も前にブラジル等南米、北米に移民した移住者、その子孫、二世、三世、四世まで 海外から20カ国、200名にも上る方々が参加されました。

第二次世界大戦で 廃墟となった日本を救う為、基金をつのり、食料や衣服などを送った海外の日系人の方々に感謝する為に 名称を国連加盟、海外日系人親睦会大会として 開催されたのが、1957年(昭和32年)でした。
天皇陛下は、皇太子時代の1969年の第10回大会にご臨席になったのを始め、1974年、1979年にもご臨席になり、1984年には皇太子妃美智子殿下にもご臨席いただき、1999年は、天皇皇后両陛下としてご臨席になりました。

日系社会と日本とのネットワークと交流の促進、中南米の日本語教育の充実、日系人のアイデンティティの確立、在日就労者問題、在外選挙の拡大と充実など掲げていて、俺は海外選挙区の創設を唱え皆と活動しています。

俺も10年前から参加していますが、荒野を開拓し、病魔との闘い、異国の良民となり、子孫に意思を繋いできたご苦労された先人、先輩からの会話を通じ、大和魂を増殖させていますが、今回は、なんとも言えない感激に慕っています。


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