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2009年07月08日

腕時計

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ベル、家具類のコレクション以外に子供の時から集めているのは腕時計です。 最初に購入した腕時計は、シチズン製の時計で、小学校5年生の時から新聞配達を始め、6年生の時(1965年)に月賦で買いました。
新聞配達は、朝刊だけでなく夕刊も配達していました。

朝は、家の目覚まし時計で4時30分頃に起床し、配達店で折込チラシを自分の配達地域だけでなく、他の人の地域分までチラシを折り込み、少しでも多くバイト代を稼ぎました。

夕刊は、学校の授業が終わった後、配達店に行き新聞を配達していましたが、授業が終わった後、友達と一緒に運動場で遊んだりしていたので、どうしても店に行くのが遅れがちになり、よく怒られていました。
いくら家庭の事情によりバイトをし、家計の足しになるといっても、遊び盛りの小学生にとっては、日曜日以外、毎日毎日(当時は、元旦と子供の日だけが新聞の休刊日で、現在のように毎月の休刊日はない)午後3時過ぎに、仲間と別れるのはとても辛かった。

1965年に山田太郎が歌った歌謡曲、『新聞少年』の歌詞さえ「朝刊太郎」ですが、俺は、朝・夕刊ともに配達していたので「朝夕幹雄」です。

ある時、友達と学校の外で遊びにほうけていて、1時間以上も遅刻をしてしまい、親方が俺の代わりに夕刊を代理配達しました。現在のように携帯電話などない時代なので、店に連絡も出来ません。
親方は、俺が何処か体の調子でも悪かったのか また、何かの事情で遅刻したと思っていたようでしたが、ズボンの汚れ方を見て『何時まで遊びほうけているのか』と怒りました。

俺は両手を大きく伸ばして、「学校の校舎に掲げてある時計はこんな大きいので、進むのが遅い」と言い訳したら拳骨を食らい、バイト代も削られました。

それ以来、遅刻するのが嫌で 自腹で腕時計を買いました。
44年以上も昔の話なので、腕時計は贅沢品。まさか小学生が腕時計をして通学してくるとは誰も想像していなかった様で、学校でも問題になりましたが、俺の家庭状況を考量して許してくれました。

それ以来、チクチクと俺の心臓と連動するように動く時計が好きになりました。
貧しい家庭に生まれようが、裕福な家に生まれようが、学歴が低かろうが、高学歴であろうが、IQが低かろうが、高かろうが、日本に住もうが、アメリカに住もうが、誰にとっても平等に1日は24時間、1440分、86,400秒で、時計の長針と短針が24回重なる。そんな公平な時間を1秒、1分、1時間大切に生きて生きたいとも思いました。

これまでコレクションした時計は、CITIZENからアメリカで買ったLONGINESに始まり、TAG HEUER、HAMILTON、ROLEX、CARTIER、CORUM、CONCORD、JAEGER-LECOULTRE、PIAGET、AUDEMARS PIGUET、GIRARD-PERGAUX、CHOPARD、CHAUMET、PATEK PHILIPPE、BVLGARI、FRANK MULLERと続いています。

なかには、定価が1000万円以上する物や、世界で9本しか製造されていないレア物、アンティークの物までがありますが、腕はたった2本しかないのによくここまで収集したと思います。

俺が生きている証が、腕時計なのかも知れません。

2009年07月23日

おくりびと

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映画『おくりびと』が、81回アカディミー賞外国語映画賞受賞しましたが、まだその映画を見ていません。
と言うより見たくない映画です。
2007年の3月23日のブログ会社の危機第四波、に書いていますが、優秀な日本人社員を交通事故で亡くしてしまい、その時にSINGAPOREでの遺体引き取りから納棺、葬式、火葬、関係各署の書類手続等全て体験しました。
それ以来、海外で病気や事故で不幸にも亡くなられた人々の遺体の輸送を200件も扱いましたので、その事を思い出したくなくて見たくないのです。

創業して5年経った1985年に俺の社員が、交通事故で死亡した後、程なくして日系企業の駐在員の方が事故で亡くなられました。
私の経験をその企業のボスが知っていたのと家族の引越もあるので、この駐在員の遺体を日本まで輸送を頼まれました。
私の亡くなった社員の供養と考え、シンガポールゼネラルホスピタルで検視、検体を行い、医者の証明書を取り、遺体を引き取り、即、専門業者でエンバーミング処理(血液を一部抜き取り、防腐剤を入れ遺体の損傷、劣化を防ぐ)を行い、事故で損傷した所に綿を詰めたりて整形し、顔に化粧もして、スーツに着替えさせて納棺し、鉛で棺を封印しました。
そして検疫所に行き、輸出証明書を取り、大使館で棺の輸出願い書、日本での埋葬許可書などを手に入れ 航空会社に棺を持ち込み日本までの輸送しました。
その間、丸2日間全ての仕事をキャンセルして、早朝から深夜までシンガポールを駆けずり回りました。

お陰で亡くなられて方の遺体を無事日本まで運び、地元で親類縁者の方々と一緒に葬式を上げられ遺族からも会社からもお礼を戴き、大使館からも良くやったと言われ、人の最後の時に遺体を守り、人間、日本人の尊厳を最後まで守られたので、これで亡くなった元社員に本当の供養も出来たと喜びました。
これが最初で最後の遺体輸送と思っていましたが……。

 

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