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10年前にSINGAPOREで東南アジア初の日本語FM'放送を開始してから、当初番組に出たのは社長メッセージぐらいでした。しかし開局して1年目過ぎのある『土曜日の事件』以来、毎週に登場するようになりました。
『事件』というのは、土曜朝の生番組担当DJが朝寝坊してスタジオに来なかったことです。
俺も前日の金曜日に深酒していたのですが、番組の始まる前の早朝5時前に「DJが時間になってもまだ来ていません」と、スタジオ管理者からの携帯電話の一報で叩き起こされました。
その内に到着するだろうと管理者に言い、再びベッドにもぐり込みましたが、番組の始まる1時間前の6時になっても、DJはスタジオに顔を見せませんでした。
DJの携帯電話も繋がらないのであわててベッドから飛び起き、洗顔もせずに車に飛び乗りスタジオに駆け込みました。
まさかこんな事があるとは思わないので、緊急事態用の録音番組テープも準備していなかったので、アタフタあたふたするばかりでした。
仕方がないので 他局のエンジニアを捕まえ彼にミキサーをさせ俺がDJをやる事にしました。
最新音楽の選曲もままならないし、洒落た言葉も言えないので、そのままJ-POPの70年代後半から80年代の音楽CDを放送し、時たまDJらしく喋りました。
土曜朝の時間に、爽やかでそれぞれに思い出のある日本の曲がかかり、リスナひとりひとりがその時代、その時の思い出、体験を音楽を通じて蘇らせました。
俺も異国の地で 何度も何度も演歌やJーPOPで嫌な時、苦しい時、故郷が恋しくなった時、両親に不憫させた時、金が底を着いた時、何をしても失敗した時、会社を立ち上げた時、新しい契約が取れ舞い上がった時、子供が生まれて時など、その度に音楽で癒され、元気をもらって来ました。
この時の番組が好評で、俺がDJをしている2時間の間に感謝のメッセージやリクエストなど、FAXやメールがスタジオにどんどんと入ってきました。
この感激はDJをしたことのある人しか理解できないかも知れませんが、電波を通じてリスナーだけでなく 世界とも繋がっている気持ちになり、メッセージが心に響きました。
2時間に渡る番組が終わり、放送局内にある食堂で遅めの朝食を取りましたが、すれ違う人々から異常な眼で見られていました。
気が付けば、服装はステテコ(寝る時はパジャマでは無く麻のステテコ)とVネックの下着に、靴を履かずにスリッパ状態でした。
変人と思われながらもこの感動が忘れられなくて、とうとう俺がDJをする1時間番組まで作りました。