2008年3月アーカイブ

大きな庭、プール、更に宮殿まで手に入れてしまったオレですが・・・。
雑誌『ムー』が、出版されてまもなくドキドキする事が連発しました。

まず最初に驚いたのは、日本から多くの手紙が来た事。
封筒には、郵便番号も住所も全く書かれてはおらず、ただ単に
CROWN LINE SINGAPORE MIKIO MORIしか記載されていない
封筒でした。1990年の事ですのでINTERNETは、まだ普及して
おらず、また紙面には、会社の住所、電話番号などは一切
記載されていませんでした。

しかし引越で使用するトラックの写真はそこに掲載されていました。
そして、そのトラックには、側面に、宣伝の為、大きく会社の名前を
ペイントしていました。ここから会社名が判明し、SINGAPOREの
国名だけで会社まで配達されたということです。
当時日本の郵便局はまだ民営化されておらず、お役所的な
サービスしかないのにSINGAPOREの郵便局は、
住所が書かれていなくても、宛名だけでオレまで届けてくれる
素晴らしいサービスを提供してくれました。
これには大変に感心しました。

そうこうする内に郵便物が2つ、3つと増え続け、発行されてから
3ヶ月間で100通近くのレターを貰いました。
ちょっとした芸能人気分でした。100通の内、三分の一は、男性で
雑誌を読み感動した、どうしたら想念術を身につけられるのか?
道場は何処ですか?などの質問から、海外で働きたい、就職させて
欲しい、弟子にして欲しい、修行させて下さい・・・。中には寄付の
依頼や大日本紳士録に登録しましたから埋蔵金、沈没船の引き上げ
ビジネスを一緒にしましょう!などの金儲け話、胡散臭い話も多く
ありました。

残り、三分の二の女性達は、病に侵されているので想念術で奇跡の
回復したいとか、男性に騙されたので助けて欲しい等の身内の話、
相談事がほとんどでした。それ以外は是非お会いしたい、
銀座でラウンジを経営しているので日本に帰国の折には是非
お立ち寄り下さい、とか交際したい!と積極的なアプローチも
ありました。

何人かの女性は、写真まで同封されていて、一人は水着姿の写真
(ハワイに旅行に行った時の記念写真と書かれてありました。が、
それは明らかに4,5年前の写真?!)も有りました。

当時は、INTERNETやSNSが無い時代ですから、来た手紙には
お礼の手紙を書いて、プールはオレの物ではない、パレスも嘘と
白状している内に文通状態になり、とうとうSINGAPOREまで来られた
女性が数人にもなりました。

TVや雑誌、単行本などに取材を受けましたが、勿論、地元の新聞、
THE STRAITS TIMES、BUUSINESS TIMESを始め、
ラジオにも多く出演しました。朝日新聞、読売新聞、日経流通新聞等
にも掲載されましたが、面白かったのは学研の発行する【ムー】
掲載された時です。

最新科学・古代史・心霊・UFOから政治・経済・健康まで
大胆な切り口と仮説で謎の真相に迫る!

月刊「ムー」と言えば、「世界の謎と不思議に挑戦する」を
モットーに、1979年創刊以来、四半世紀にわたって
日本の精神世界をリードし続けてきたスーパー・ミステリー・
マガジンです。
記事で取り上げる対象は、その名に恥じず実にバラエティー豊か。
古代史ミステリー、最新科学ミステリー、心霊、UFO、魔術から
政治、経済、健康、エコロジーまで、謎あるところには、
どこにでもムーは飛び込んでいきます。
そして、常に読者があっと驚くような大胆な切り口と仮説で謎の
真相に迫りつづけています。まっすぐ見ているだけでは
見えなかった事実も、斜めや下やウラから見ると、意外な表情を
あらわにしてくれます。
最近、世の中がつまらないなあ、とお思いの方、決してそんな
ことはありません。世の中、実は謎だらけ。謎こそロマン、
謎あるところに夢があるというのが、彼らの編集姿勢です。
謎発見と謎解明のスリル、楽しさを「ムー」で存分に
味わう事ができます。

レポーター曰く、オレに守護霊が宿っている?とのことで、
UFOと一緒にされましたが、記事の内容は事実を元に多少表現が
神がかり的でした。(1990年 8月号 No.117 128ページ
【異色人物レポート】想念術で巨億の富を築いた男  筆者;藤本憲幸)

2日間程、MALAYSIAのJOHORの星空と海が
綺麗なリゾートに行き、ホテルに缶積めになり取材を受けました。
ホテルのプールで寛いだ後、SINGAPOREに帰る途中にJOHORの
王様のパレスに行き、銃を持った近衛兵を横に記念写真を
取りました。
更に社屋、倉庫、引越現場の写真なども取りましたが、
いざ、出版された雑誌を見ると、なんと『休日はゆっくりと自邸の
プールで寛ぐ・・・。』のコメントと共にリゾートホテルのプールで
取ったオレの写真が掲載されていました。

更に『自邸の前で立つ・・・』のコメントには、MALAYSIAの王様の
パレスのゲートで取った写真が掲載されていました。
いつの間にかリゾートホテルのプールは、オレのプールになり、
KINGが住むパレスもオレの自邸になってしまいました。
まるで、東京駅前にある皇居やロンドンにあるバッキンガム宮殿が、
一夜にしてオレの物になった感じです。

直ちに日本のレポーターに事実と違う写真が掲載されている事に
クレームを申し立てましたが、編集時にアルバイト社員が
間違った写真を使ってしまったと言われ、既に出版されているので
どうしようもないと言われてしまいました。
どう考えても、面白おかしく誇張した方が、心霊やミステリーを好む、
ムーの読者に受けると思い、確信的に間違って写真を
掲載した様でした。

オレが、嘘をついている事になるだけでなく、万が一、MALAYSIAの
王様から、「先祖代々引き継いだの俺のパレスが、何時からお前の
物になったのか?」と言われるのが怖いやら恥ずかしいやらで、
出版されてからは、ドキドキの毎日でした。

そして、後日、そのドキドキが的中してしまったのです・・・・・・・・・。

メディアからの取材

若くして海外に行き、ビジネスを立ち上げ、小春日和もあれば
大型台風、津波、地震にも遭遇した様な人生だったので
国内外の色々なメディアから数多く取材を受けていました。

まず始めは、1987年に地元のTV局で取材を受け、その後1989年に
TV朝日で500回(週間なので10年間も!)も放送された長寿番組、
宮尾すすむの『ああ?日本の社長』、1990年にPHP出版の
『ビジネス・ボイス』に【アジアン・ドリームを実現した男】と
紹介されました。

同じ年に学研から発刊されている『ムー』、1991年には、NHKTVで
『アジア・マンスリー』に出演し、更に週刊フライデーに
【アジアの中の新日本人。アジアンドリームを実現した男】として、
掲載されました。

1995年には、週間ダイヤモンドに【職はアジアにあり!】に掲載され、
上岡龍太郎と鶴瓶の90分特別番組【世界ガンバレ日本人・人生楽あり
苦もあるスペシャル】にも出演しました。

1997年にSINGAPOREに新しく出来たTV局、チャンネルUの
45分間のビジネス、プライベートに関してのフィーチャー番組に
出演しました。
1998年に東アジア総合研究所の『月刊東アジア』に
【アジアに凄む日僑人伝説】として取り上げられ又、『月刊アジア』
では【アジアン・ドリーム、敗者復活でつかんだ商機】と
紹介されました。

単行本では、【本気で考える海外移住と事業】扶桑社、
【やはり儲かるアジアビジネス】日刊工業新聞社、
【人物研究】近代人物研究所、
そして英語版で【ADONIS YEARBOOK 92 WINNERS】や
【SINGAPORE SAVVY 50 ENTERPRENEURS OF TOMORROW】と数多くのインタービュー、取材を受けた事になります。

1999年以降、メディアの露出を無くしたのは、SINGAPOREで
日本語のFM放送、HELLO SINGAPORE FM96.3を開始し、
オレがメディアの発信側に大きくスタンスを移動した為です。

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実は、もう一つあります

これまで、成功する三つの秘訣をお教えしましたが、
実は、もう一つあります。

それは、自分が生まれ育った土地で絶対ビジネスを始めない事です。

往々にして生まれ育った土地でビジネスをすれば
親、兄弟、親戚をはじめ友人、学友、同窓生達が何かと
援助、応援してくれるので安心、心強いものですが、
保険の外交員ならいざ知らず他のビジネスには大きなマイナス要因に
なります。

勿論、お金を借りたり、取引先を紹介されたりと何かと便利で
安心ですが、トラブルが発生すると他人に頼ってしまったり、
誰かに責任を押し付けたりしてしまう傾向が、どうしてもあります。

誰も頼る人が居ない土地、外国なら全て自分、何事においても
他力本願ではなく、己との戦いになります。
まして身を粉にして立ち上げたビジネスを起動に乗せる為には、
友人達と飲み会や遊びには行ってられません。
他人から薄情だとか付き合いが悪いとか憎まれたり銭の亡者等という
陰口は、知らない土地、海外なら無縁です。

まして何かの拍子で大恥をさらす事になっても縁の無い土地、
異国の地なら他人の眼も気になりません。
親類の縁も無く、ご近所とも付き合いが無い状態で孤独で寂しく
休眠火山の辛い状態ですが、退路を断ち切り、恥を掻こうが、
悪口を言われようが、どんな事をしてでも夢の実現にまっしぐらに
進むには異国の地がベストです。

日本国内でも成功している人々は殆どが地方の出身者ですし
いつか親戚縁者を集め故郷に錦を飾る事や友人、
同僚達の前で凱旋帰国を夢見て頑張って生きていく事が
成功する為には絶対重要です。

生死を彷徨ったと言えば大袈裟かも知れませんが、
大きな交通事故と難病を体験し初めて生きている事の尊さを身体で
感じ取りました。

子供達やビジネスを含め次世代に繋ぎたいオレの生きた証しを
第二の故郷SINGAPORE,ASIAに残したいと強く思いました。
本を読んだり、人の話を聞いても感じる事の無い貴重で本当に
かけがいの無い経験です。

さて人生の成功する3大条件を見事にクリアーしたオレですが、難病を
克服したお陰で今まで以上に人の苦しみや痛みも心の底から
理解できたという事も嬉しいことの一つでした。
それ以外にも50歳を前に体は20歳前後の若者である事も確実に証明
でき、こんなに嬉しい事はありません。
此れからも益々体を鍛え、脳を鍛え、精神を鍛えまだまだ続くオレの
人生を楽しく、愉快に、面白く過ごして行きたいと思っています。

でもあらゆる艱難辛苦を乗り切って来たので、これから突然巡り合うかも
知れない試練がどんなものか全く想像付かない事に苛立ちも感じます。
予想が出来れば事前に対策もたてられるのに、と思いながらもドンと罹って来い艱難辛苦よ!と未だにお腹(腹筋)が六つに割れない
下腹を叩く毎日です。