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大交通事故は、まだ、子供が2人しかいない頃で、前にも書いた
社員の独立や持ち逃げ、さらに片腕の社員の交通事故死、
3億円の裁判沙汰と此れでもかという位に撃ちのめされた後、
心気一転一生懸命頑張っていた時です。
1月早々にマレーシアのペナンに早朝に到着せねばならなくなり
飛行機のスケジュールの関係上シンガポールから車で
クアラルンプールに行き、そこから飛行機でペナンに向かう事に
しました。
新車のアウディ100CDに乗り出発、ところが忘れ物に気が付き
家に戻りました。しかし妻は、旅行の途中に戻るのは、マレーの
言い伝えで縁起が悪い、ということで家に入れてくれず、窓越しに忘れ物を
受け取りました。
この『縁起が悪い』の一言が、悪魔の交通事故に繋がるとは全く
予想できず、演歌を聴きながら夜のハイウエーをすっ飛ばしていました。
マレーシアの道路事情は、今のような高速道路ではなく、
2車線だけの一般道で、カーブも多く、街灯もなく、真っ暗闇の中、
全ての車が130KM以上のスピードで走っている、という状況でした。
丁度、シンガポールとクアラルンプールと中間地点で、右側から急に
何かが飛び出したので避けようと、ハンドルをきったらそのまま
スキップしてしまいました。
その先に橋がありましたが、橋を渡らず空中走行してそのまま
向こう側のコンクリート壁に直撃してしまいました。
そしてそのまま河の中に沈んで行きました。
空中走行している時に、『あ~これでオレの人生も此れまで』と
思いました。その瞬間、走馬灯の様に今までのオレの人生が高い
解像度状態でフラッシュバックして来ました。
母親も顔も見ましたし、長いようで短い時間でした。
その後、意識を失い、河の水が、車体に入ってきて意識を
回復しましたが、逃げるに逃げられずの状態でしたが、
火事場の馬鹿力、生きたいと言う願望の力で車から脱出し
崖を登りました。その時に足に切り傷が出来たのが唯一の負傷でした。
道路に出ても車の量が少なく誰も停車してくれず、仕方なく
とぼとぼと歩いて近くに町まで行き、民家を見つけやっと警察に
連絡出来ました。
クレーン車と警察が、現場まで来て河から車を引き挙げましたが、
誰もオレがこの事故車を運転していたとは、とても想像出来ない、と
言っていました。
初めて死の直面に出会わしたお陰で自動車の運転も慎重になり
他人さんを傷つける事は、未だにありません。
しかし、日常生活の忙しさに紛れて、『死』を考える時間を忘れてしまう事が
多くなりました。
そんな中、42歳の厄を過ぎた後、又もや死の恐怖とご対面です。
それ一瞬ではなく、長く長く続く『病』でした。