2008年2月アーカイブ

潰瘍性大腸炎2

難病の潰瘍性大腸炎ですが、昔も今も治療方法は確立しておらず、
潰瘍を抑える薬を飲むか、免疫制御剤を服用するか、いずれにしても
症状を緩和する薬以外はありません。
症状が悪化すると副作用の大きいステロイド剤を飲むしか治療方法は
ありません。

こんな状態では、神、仏、キリスト様といわず何でも
すがるしかありません。
でも祈った処で完治する訳でもないのでまずは民間療法も含めて
色々な事を試しました。

まずは、食事療法で肉、牛乳などを摂取せずに変わりにビール酵母や
大豆蛋白を多くとりました。
腸に負担を掛けない為にもあまり植物繊維も取らないようにしました。
更にストレスを軽減する為にあらゆる事をしましたが、ストレスを
無くそうとすること事態が、ストレスを生む事が解り、
自然体で行こうと決めました。

アメリカインディアンの自然治療方法の本を読んだり、
ネットで調べたり、と色々試しましたが、
『もうええや?。短いようで長い俺の人生、今までジェット・コースター
みたいな人生だったけど、おもろかった。人が出来なかった事を沢山
したし、遣り甲斐のあるビジネスを確立したし・・・』
後は、若い者達に後進を譲ろうと決め、
病気の悪魔は、退治できないけど、悪魔と上手く付き合い、
残りの人生はなる様になると思いました。

社員に病気の事を告げ、後は確りと頼むと言ったら肩の荷が
落ちたのかすっきりとした気分になりました。

中国の漢方薬も試しながら定期検査を受けて行く内に症状が段々と
改善に向かい2年もすると西洋医学の薬の服用も医者から要らないと
言われるぐらいに回復しました。
今も全く薬は服用せず、年に1回の定期検査だけで、あれほど苦しんだ病魔は、何処かに逃げていきました。

難病ですから何故病気になったか解らず、結局完治したのも解らずじまいです。でも人生なるようになる、と開き直り、とりあえず毎日ベストを
尽くし、人生をエンジョイしようと思う事が完治した理由かも
知れません。

どんな事でも諦めず、ドン底状態ならこれ以上は落ちないと思い、
楽観的に、冬が来たら春が来ると思い、腐らず悩まず、他人のせいに
せず、愚痴をこぼす事無く、怒りを押さえ、笑顔で過ごし、
今までの生活、人生に感謝すれば必ず道は開けてきます。

オレが、出来たのだから貴方にも必ず出来ます。

潰瘍性大腸炎

さてさて病気の事ですが、
タバコを吸いすぎれば肺炎になる確率が高くなり、
アルコールを飲み過ぎると肝臓を壊す確率が高くなり、
コンドームを使わずにSEXをすればエイズに罹る確率は高くなります。

これも因果関係ですし、タバコを吸う人、お酒を飲む人、売春婦と・・・、
それぞれ、そのリスクを知っています。

でも厚生省(今の厚生労働省)が認定している難病、不治の病は、
原因不明、因果関係が解らない為、根本治療方法が今現在までも
発見されていません。

この不治の病にオレは、罹ってしまいました。
病名は、潰瘍性大腸炎。
大腸を切除しても間違いなく大腸癌に進行して行きます。
難病指定患者になれば、治療費が無料になりますが、
モルモット状態になるのは、嫌で拒否しました。

最初は、血便が出て痔かなと?思いましたが便秘、下痢が交互に
繰り返しました。の後1日にトイレに5回程度行き始め、
それが10回以上になりました。

色々な検査をしましたが、判明しませんでした。その大きな理由は、
この病気に罹る人は殆どが10代後半から20代の若者で、
肉を多く食べる人、だからです。このときオレは40代後半。
あまり肉を食べないオレが罹るとは医者も思いませんでした。
欧米では、日本の患者より10倍も多いと言われているのも
肉食生活だからでしょう。

この病名を告げられた時は、頭を鉄杭ハンマーで殴られた以上に
ショックを受けました。

何で若者の病気がオレに罹るのか?オレは何をしたのか?
体に悪い事はしていなのに?堂々巡りの毎日でした。
何かの原因が必ずある筈と一生懸命調べましたが、
全く手がかりが有りませんでした。

仕方がないのでこの病気を確りと自分で受け止め、自らの力でベストを
尽くし治して行こうと決めました。

ビジネスでも人一倍上手くやったしこれぐらいの病気で
負けてたまるか!と自分自身に言い聞かせました。

肝が据わる

交通事故も含め、裏切りや裁判等で数々の修羅場をくぐって来ました。しかし、過去の問題の全ては、オレが原因である因果関係です。

交通事故ももっと慎重に運転していたら大事故にもなら無かったし、
裁判もオレが欲を斯きすぎた為に起こった事です。
社員から絞り取るだけ絞りとり、働かせていたら裏切者も出てきます。
最初は、運が悪い...、責任は向こう側にある...、経験も無く、
他の会社では到底雇用されない者を一人前に育ててやるのだから
摂取しても当たり前と考え、オレには多少の責任があっても...と
思っていました。

でも次々と試練が重なり修羅場を歩んで行くうちに全ての原因は、
オレにある、と心の底から思うようになりました。
悪いのは、道路事情でもなく、取引先でもなく、社員でもありません。

こうしたい、ああしたい、こうあって欲しいと思うけれども、
そんな事はオレの勝手な事情であって、他人はオレの都合に
合わせてはくれません。

数々の修羅場を創ったのは、オレ自信、と気が付き、上手く
行かないのが人生、窮地に立っても夢を忘れず、責任を他のもの、
他人に押し付けず全ての責任はオレ、オレ以外にないと考えました。
 
それ以来、問題・事故は発生せず、お陰さまでパワー全開なるも
心が穏やかなり、アジア各国に支店網を拡大出来ました。

成功の第三の秘訣は・・・。

前回記事をアップしてから、1ヶ月以上も経っても今回の記事を
書けなかったのには理由があります。

今でもあんなに辛い思いをした事が無かったからです。

その理由は、死の体験です。

真の成功者は、間違いなく必ず一度は、死の体験をしています。

心臓が脳が停止するという事は、どんな意味をもっているのか?
生きているという事は、何を意味しているのか?
人間は何のために生き、何のために生存しているのか?
広い宇宙の中の一生物として、今まで何をしてきて、
何を残そうとしているのか?

哲学、宗教に問いかけて回答が出ないこともあります。

何時かは、人間は死ぬのであって、裸で生まれ、裸で死んで行く。
金も物も墓場まで持ち込めないのなら何を残していくのか?

心の葛藤を行い、無になり、大自然の掟に従うと思わなければ、
人生、そしてビジネスの真の成功はあり得ません。
 
オレは、今まで二度本当に死ぬと思った事があります。

一度は、交通事故でした。

オレ自身の大交通事故

大交通事故は、まだ、子供が2人しかいない頃で、前にも書いた
社員の独立や持ち逃げ、さらに片腕の社員の交通事故死、
3億円の裁判沙汰と此れでもかという位に撃ちのめされた後、
心気一転一生懸命頑張っていた時です。

1月早々にマレーシアのペナンに早朝に到着せねばならなくなり
飛行機のスケジュールの関係上シンガポールから車で
クアラルンプールに行き、そこから飛行機でペナンに向かう事に
しました。

新車のアウディ100CDに乗り出発、ところが忘れ物に気が付き
家に戻りました。しかし妻は、旅行の途中に戻るのは、マレーの
言い伝えで縁起が悪い、ということで家に入れてくれず、窓越しに忘れ物を
受け取りました。

この『縁起が悪い』の一言が、悪魔の交通事故に繋がるとは全く
予想できず、演歌を聴きながら夜のハイウエーをすっ飛ばしていました。

マレーシアの道路事情は、今のような高速道路ではなく、
2車線だけの一般道で、カーブも多く、街灯もなく、真っ暗闇の中、
全ての車が130KM以上のスピードで走っている、という状況でした。

丁度、シンガポールとクアラルンプールと中間地点で、右側から急に
何かが飛び出したので避けようと、ハンドルをきったらそのまま
スキップしてしまいました。

その先に橋がありましたが、橋を渡らず空中走行してそのまま
向こう側のコンクリート壁に直撃してしまいました。
そしてそのまま河の中に沈んで行きました。

空中走行している時に、『あ?これでオレの人生も此れまで』と
思いました。その瞬間、走馬灯の様に今までのオレの人生が高い
解像度状態でフラッシュバックして来ました。

母親も顔も見ましたし、長いようで短い時間でした。

その後、意識を失い、河の水が、車体に入ってきて意識を
回復しましたが、逃げるに逃げられずの状態でしたが、
火事場の馬鹿力、生きたいと言う願望の力で車から脱出し
崖を登りました。その時に足に切り傷が出来たのが唯一の負傷でした。

道路に出ても車の量が少なく誰も停車してくれず、仕方なく
とぼとぼと歩いて近くに町まで行き、民家を見つけやっと警察に
連絡出来ました。

クレーン車と警察が、現場まで来て河から車を引き挙げましたが、
誰もオレがこの事故車を運転していたとは、とても想像出来ない、と
言っていました。

初めて死の直面に出会わしたお陰で自動車の運転も慎重になり
他人さんを傷つける事は、未だにありません。

しかし、日常生活の忙しさに紛れて、『死』を考える時間を忘れてしまう事が
多くなりました。

そんな中、42歳の厄を過ぎた後、又もや死の恐怖とご対面です。

それ一瞬ではなく、長く長く続く『病』でした。