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2007年09月 アーカイブ

2007年09月03日

『ハーフ』では無く『ダブル』

5人の子供は、昔の世間で言えば、『あいの子』、
今風に言うと『ハーフ』です。
オレの小さい頃は、『あいの子、合、間いの子』と言われる
差別用語でした。
外人の男性と日本の女性との間に生まれた子供達で
終戦後、米国の兵士達と結婚した為、魂を売った日本女性、として
どうしてもさげすまれ、その子供達も同様にさげすまれてきました

お父さんが黒人の為、肌の色が黒い為、友達にからかわれるので
毎日お風呂場で血が出るぐらいタオルで洗い流して…。
そんな逸話も良く聞きました。

オレは、この『ハーフ』と言う言葉が大嫌いです。
生まれて来た子供達には、「お前らは『ハーフ』とは違う」と
言い続けています。
大和魂を持った日本人と、多民族国家・国際国家のSINGAPO
RE人
との間に生まれた子供は、お互いの良い所、長所を持ち合わせた
優勢遺
伝子を持った優秀な人種なので『ハーフ』では無く『ダブル』だ!!
と常に言っています。

過去にも現在にも悲惨な戦争が続いていますが、もし、万が一、
両国間で紛争、戦争が起きて戦わねばならない時にオレの子供は、
その国の法律を犯しても絶対に反対行動をするでしょう。
父親、母親、親類の為にも草の根で紛争を解決したりするでしょう

世界中の人々が隣の国同士で結婚して子供を作れば、世界平和が
簡単に手に入る気がしてなりません。
皆が、短所や悪い事を指摘してもめるより、お互いの良い所を
認め合い、お互いの文化・風習を受け入れれば、争い事は、
この地球上から消えて行く筈です。

異文化、異民族と言う言葉をなくし多文化、多民族と表現すれば
社会が、国が変わる筈です。

世界のポリスを自称する米国が、
料理で言えば大きなポットで煮たシチューならば、
SINGAPOREはサラダボールに入れた色とりどりのサラダで
す。
レタス、人参、胡瓜、トマトもそれぞれが形を変える事無く認め合
い、
色のバランスを保ち、個性を出し合っています。
それらを一つのドレシッングで絡み合い更なる味覚を出しています


頑張れ世界中の『ダブル』達。
(ついでに『ニューハーフ』達も!)

2007年09月06日

常に真剣勝負(教育編)

5人の子供は、ルーツの無い浮き草のような人間に
育てたくない為、また日本人として育てる為に
小学校、中学校とも日本人学校で教育を受けさせました。

長男、次男の時代には、まだ日本人幼稚園がなく地元の幼稚園に
通っていました。当時、オレが朝早くから夜遅くまで
働いていたので十二分に日本語を教える事が出来ませんでした。
子供と妻との会話は、全て英語なので悪さをした時に
子供を叱る際、オレの発音の悪い英語で叱っても効果が無い、
という事と、微妙なニュアンス(関西弁で「お前はアホか?」
と言う表現を英語にすると全く別の意味になる感じ)を表現
出来ない事も日本語で育てようとした理由です。
 
5人の子供は、すくすくと育ちましたが、どうしても
純粋な日本人ではない為、色々なトラブル、問題も起こし、
学校から呼び出しがよく有りました。
いつも先生は、俺の子供の欠点ばかり指摘してお父さんも
ビジネスで忙しいでしょうがしっかりと指導して下さい、
と言われていました。
 
1,2回目はハイ、そうさせて戴きます、ご迷惑をお掛けしました
と謝っていました。しかし3回目となるとオレも頭にきて
『子供の欠点は、オレのDNAを引きずっているので先生に
言われなくてもわかっている、親のオレとしては、高い授業料を
払っているのだから子供の欠点を指摘するのではなく、
子供の長所、優れている所、可能性を見つけて欲しい、
それが先生の仕事ではないのか?』と噛付いていました。
これを子供の目の前で先生に対して言うので子供としては
親父に愛情を感じ無いはずがありません。

教育は、常に真剣勝負です。

(お陰さまで50回目の投稿となりました。まだまだお話しする事は
ありますのでご期待下さい。目指せ100回!)

2007年09月13日

弁当

5人も子供を持っていると、
「色々と大変でしょう?」「お金も掛かるでしょう?」等々、
よく言われますが、子育てでなんといっても一番辛かったのは
毎朝子供の弁当を作ることでした。

当地の日本人学校は、私立(大使館の元に日本人会が運営)なので
給食制度がありません。

子供達は、日本人小学校1年生から日本人中学3年生まで
弁当生活でした。10年間で子供5人が生まれていますので
毎日が弁当との格闘です。
最初は、マレー人の妻が、本屋から取り寄せた『お弁当の作り方』
等を参考に“創って”(殆ど創作なので…)いました。
ご飯は、当地で販売されているカレー料理に合うパサパサした
タイ米を使っていたので昼頃になるとパサパサの米が、
更にパサパサになり、到底お箸では、食べれれない状態の
ご飯になっていました。
そんなご飯を周りの子供からからかわれたりしていたようでした。

ある日、カバンの中にある弁当箱をみたら、全く手付かずでした。
何故食べないのかと聞くと黙っていました。
そんな事が再三再四あったので子供に聞くと弁当でからかわれるので
食べないと……。その事をマレー人の妻に言うとご飯が嫌なら
明日からパスタ、と変な方向に行ってしまいました。
翌日の弁当は、弁当箱全部にスパゲッティー、でこれまた子供達は、
開けて瞬間に弁当箱を閉じたようです。

母親が一生懸命創ってくれるのは解っているので学校から帰ってきて
直ぐするのは、家の前のゴミ箱に弁当を毎日捨てる事でした。
夫としては、妻の気持ちもわかる、父親として子供の気持ちもわかる。
という事で、最終解決策は、オレが毎日弁当を作る事となりました。
米国で学生時代に住み込み女中(男)紛い的な事はしていたので
料理には自信がありました。
ゆで卵も、ウインナーもただ単に切らずに色々な形を作りました。
ご飯は勿論、日本のお米と同じオーストラリア米を使い、
上に海苔やふりかけ、胡麻で言葉や絵も描きました。
接待で幾ら遅く帰っても、仕事で疲れていようとも毎朝6時には、
眼をこすりながら起きて弁当を作りました。

弁当の無い水曜日と土曜日は、本当に嬉しい日でしたが、
日曜日は、スーパーで来週の弁当のおかずを考えながら
買い物するので憂鬱な日でした。
しかし、空の弁当箱を見る事で又、嬉しく、励みになりました。

でも時々手抜きをした日は、家の前のゴミ箱を開けて
見たりもしましたが…。
5人の子供は、オレの弁当で育たと自負していますが、
実は子供のほうが上手でオレがうまく煽て挙げらていたかも
知れません。

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