2007年7月アーカイブ

学校を卒業して新卒入社したり、転職で新しい会社に入社する時に
普通の人は、今流行の会社、人気の高い会社、儲かっている業界、
会社をどうしても選びがちです。

海外引越を始めた時は、海外に私の様な若者は、全く居ませんでした。
当時、英会話が出来て、留学、海外生活経験者達の殆どは、商社や
メーカーに就職したりで日本国内の海外引越担当者も私と同じ年齢の
人達は、殆どが、現場作業員でした。

先輩といえば、8歳から一回り以上の年齢の人達で英会話学校も
駅前留学も行かずに、外国人と現場で、身体で覚えた人達ばかりでした。

そんな先輩達を見て20代の私は、これから20年間、この業界で
頑張ばり、耐えれば、必ず日本も含め、世界中で海外引越業界の
ボスとして天下を取れる、と思いました。

斜陽産業、日の当たらない業界は、どうしても良い人材が集まりません。
でもそのお陰で競争が少なく簡単に業界のドンに成れるのです。

私の名前を知らない業界人が皆無なのは、こんな理由です。

石炭、造船、建設、サラ金の業界でも10年、20年の単位で
浮き沈みが繰り返されます。業界のピーク時に入社するより、
ボトムの時に入社する方が間違いなく将来、ボス、ドンに
成れる確率が高くなります。

さあ、貴君は、これからどんな業界を選ぶ?

オレまでメールをくれ

今回、ブログを書き始め、改めて、オレは本当に色々なジャンルの
ビジネスを懲りもせずに手掛けてきたんだなぁ?、と思いました。
 
それと同時にアジア各国にも支店を数多く創設し続け、
海外ネットワークでは、何処にも負けないぐらいになりました。
 
まず1980年に拠点のSINGAPOREに会社を設立しました。
そして初の海外支店を1984年にMALAYSIAの首都、
KUALA LUMPUR、1989年に同じくMALAYSIAのPENANGに
設立しました。
 
1992年にTHAILANDの首都、BANGKOKに設立し、
1994年には、MALAYSIAの第二の都市、
SINGAPOREの裏庭的なJOHOR BAHRUに、
更に1996年には、INDONESIAの首都、JAKARTAに設立しました。

翌年、1997年には、MALAYSIAの歴史的都市、MALACCA、
1998年には、香港に設立しました。
 
21世紀になり、2001年にINDONESIAの第二の都市、SURABAYAに
設立、2002年には、中国、上海に遅れせばながら進出しました。
 
そしてとうとうSINGAPOREにたどり着いてから27年目にして
日本、東京に会社を設立しました。
この時は、黒船に乗船し、日本に逆上陸して
日本の真のグローバル化ため、そのマインドを開国させようと
考えていました。
 
その後2005年に中国の首都、北京に作り、翌年2006年には
大連支店をオープンしました。
 
今後、2007年中には、ベトナム、2010年までには、
眠れる大国から目覚めたインドに進出(既に会社は登記済み)を
計画しています。

今後まだまだアジア地区に会社を設立していく予定です。
会社を創ることは出来ても、それを動かしてゆくのは"人"です。
ますます優秀な人材、パートナーが必要です。
アジアに於いてこれだけのビジネスの多角化と海外支店網を持つ
企業は無いと自負しています。

どう?この舞台で自分を演じないか?
我と思わん者は、オレまでメール(mori@comm.com.sg)をくれ!

手紙

オレの人生で最高の勲章は、FM放送のリスナーから戴いた手紙です。
番組内で、ある日本人女性にプレゼントが当選しました。しかし
当選したデジカメは、受け取れない、という連絡を受けました。
その理由を尋ねると『商品以上の物を貰ったから...』との事。
後日、彼女から手紙が届きました。

親の反対を押し切り、シンガポール人の男性と結婚、
子供も授かったが、ご主人の失業等で家庭は崩壊寸前状態が続く。
しかし親に相談も出来ず、友人・知人も無く、苦労に苦労を
重ねられていました。

唯一の心の支えは、我々が放送をしている
HELLO SINGAPORE FM96.3。
毎日、DJのトークが彼女を励まし、大好きな日本の音楽を
リクエストする事で気持ちをリフレッシュされていたようです。

しかし生活がどうにも上手くいかず、娘を抱いて公団住宅から
飛び降り自殺を考えた時、彼女の母が大好きな美空ひばりの曲が、
ラジオから流れたのです。
既にそのとき亡っていた両親のお陰で今の私が居るのに、
私は愛娘と一緒に命を絶とうとしている......、出来る事から、
少しでも良いからして一歩一歩前に行こう、と自殺を思い止めたのです。
 
『私の人生に新しい光、そして心の落ち着く場所をくれたDJの皆さん
そしてJ-PLUS、COMMの皆さん、本当にありがとうございます。
これからも皆さんを心から応援していますので、体に気をつけて
ステキな番組作りにがんばってください』と手紙の最後に
書いてありました。
 
一曲の音楽で尊い二人の命が救えた!
手紙を読み終え、人目をはばからず涙、涙で泣き尽くしました。

FM放送を開始してから多額の金を次ぎ込みました。
しかしラジオ放送していて本当に良かった、と思った最高の日でした。
また改めて音楽の力、素晴らしさに感動し、今まで長年お世話に
なった東南アジアの日本人社会に奉仕、貢献という意味合いからも、
出来る限りの努力をして放送を続けよう、と思った日でもありました。

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