日本語FM放送開局については、一冊の本が書けるぐらい、数々のエピソードがあります。 又、辛い経験、楽しい経験等、今までに無い色々な事を この放送ビジネスを通じて経験しました。 海外で万一天災に遭遇した時、どう対処したら良いか?など 日常生活でも考えていましたが、神戸の大地震の7日後に 神戸事務所の応援で神戸に行った時には、身の毛の振るえが続き、 恐怖感に溢れ、涙が止まりませんでした。 日本語が通じる日本でさえ、大災害の時は、どうしようもないのに 海外で、まして日本語が通じない場所で万一、 災害と遭遇したら・・・。 当地に日本語放送があれば、災害、惨事のような緊急事態時に 何かの役にたち、その後もライフラインのケアーも出来ると思いました。 でも外国人に放送枠を渡す事は、何処の国でも難しい事は、 理解していました。しかし誰かがやらないと・・・。 そんな時に、通信情報大臣のジョージ・ヨー大臣と知り合う事が出来、 彼の部下にラジオ放送を是非開局させて欲しいと強く訴えました。 その後、INTRENATIONAL CHANNEL(日本語、フランス語、ドイツ語の 3ヵ国語)が開局される事になり、諸手を挙げて参加しました。 1社の放送を独占させるのは、良くないと横槍も入り、 1998年10月12日に2社(その後他社は退散)で 日本語FM放送を東南アジアで初めて10KWの出力の電波を 飛ばしました。 最初は、2時間程度の放送が、朝2,5時間、夕方2,5時間、 夜3時間の毎日休み無く、合計8時間も放送していました。 全くの素人が、放送番組を作り、放送したので大きな苦労 (放送“ジングル”の意味が解らずクりスマスのジングルとの 勘違いなどや、SINGAPORE政府の手配でTBS、文化放送の局長と ラジオ放送はどうあるべきか、の激論等々・・・。)は ありましたが、今から考えると皆楽しい事ばかりです。 ![]() でもお陰で大きな投資となり、家が2,3軒買えるぐらいまで 金を注ぎ込みました。それは未だに回収出来ていません。 これからも日本語放送でお金を儲けるのは不可能です。 でもお金では買えない、オレの今まで生きてきた人生の証と勲章を 手に入れました。 “勲章”と言っても政府機関が授与する物ではなく、 たった小さな便箋3枚に書かれた手紙です。 |
