2007年6月アーカイブ

小さな便箋3枚

 日本語FM放送開局については、一冊の本が書けるぐらい、
数々のエピソードがあります。

又、辛い経験、楽しい経験等、今までに無い色々な事を
この放送ビジネスを通じて経験しました。

海外で万一天災に遭遇した時、どう対処したら良いか?など
日常生活でも考えていましたが、神戸の大地震の7日後に
神戸事務所の応援で神戸に行った時には、身の毛の振るえが続き、
恐怖感に溢れ、涙が止まりませんでした。
日本語が通じる日本でさえ、大災害の時は、どうしようもないのに
海外で、まして日本語が通じない場所で万一、
災害と遭遇したら・・・。

当地に日本語放送があれば、災害、惨事のような緊急事態時に
何かの役にたち、その後もライフラインのケアーも出来ると思いました。
でも外国人に放送枠を渡す事は、何処の国でも難しい事は、
理解していました。しかし誰かがやらないと・・・。
そんな時に、通信情報大臣のジョージ・ヨー大臣と知り合う事が出来、
彼の部下にラジオ放送を是非開局させて欲しいと強く訴えました。

その後、INTRENATIONAL CHANNEL(日本語、フランス語、ドイツ語の
3ヵ国語)が開局される事になり、諸手を挙げて参加しました。
1社の放送を独占させるのは、良くないと横槍も入り、
1998年10月12日に2社(その後他社は退散)で
日本語FM放送を東南アジアで初めて10KWの出力の電波を
飛ばしました。
最初は、2時間程度の放送が、朝2,5時間、夕方2,5時間、
夜3時間の毎日休み無く、合計8時間も放送していました。

全くの素人が、放送番組を作り、放送したので大きな苦労
(放送"ジングル"の意味が解らずクりスマスのジングルとの
勘違いなどや、SINGAPORE政府の手配でTBS、文化放送の局長と
ラジオ放送はどうあるべきか、の激論等々・・・。)は
ありましたが、今から考えると皆楽しい事ばかりです。
 
でもお陰で大きな投資となり、家が2,3軒買えるぐらいまで
金を注ぎ込みました。それは未だに回収出来ていません。
これからも日本語放送でお金を儲けるのは不可能です。

でもお金では買えない、オレの今まで生きてきた人生の証と勲章を
手に入れました。

"勲章"と言っても政府機関が授与する物ではなく、
たった小さな便箋3枚に書かれた手紙です。

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一歩一歩

 魔法の呪文が、効いたお陰で月刊誌も上手く軌道に乗り
MALAYSIAでもKL唯一の月刊誌(パノーラー)を
立ち上げました。
更にINDONESIAでもJKTで初めての月刊誌(さらさ)も
出版しました。

そうこうしている内に他社が、無料週刊紙をSINGAPOREで
立ち上げるとの噂を聞き、総合メディア会社を目指しているオレに
とっては、黙って見ている訳には行きませんでした。

過去に数社が、無料週刊紙を出しましたが、何れも廃刊してしまい、
週刊紙の難しさ、継続させる事の難しさを十重に感じていました。
しかし日本のスポーツ紙と提携してスポーツ、芸能NEWS
コンテンツを毎週配信してもらえば、紙面は何とか繕えると
考えました。
又、北米でも月刊誌が週刊紙に負ける状態を見ていましたので
此れはなんとしても誰よりも先に週刊紙を出さねば・・・と、
奮闘しました。
同時にMALAYSIAでも同じ様に週刊紙を立ち上げ、
東南アジアで不動の位置を付ける様にしました。
それが、JーSPORTSでもう直ぐ満3年を迎えます。

それに伴い、J?SPORTSを内容を変え増ページし
当地の記事を満載にする予定です。
来年は、F1のレースが開催され、2009年にはカジノが
オープン、わくわくドキドキでそれに併せて紙面作りをしていきます。
年刊のハローシリーズ、無料月刊誌、無料週刊紙と年、月、週、と
紙媒体を持ちました。
既に毎日放送している日本語FM放送(HELLO SINGAPORE FM96.3)と併せれば、年、月、週、日、単位で情報を
流しているのです。

後はネットで情報を流せば、紙、電波、ネットと、全てのメディアを
網羅出来るので5月7日に開始したのが、
シンガポール経済新聞』です。

IPTVも含めると完全に日本語メディアを制覇した事になりますが、
これも17年間も掛けて一歩一歩、歩んで来たからこそ出来た事です。

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秘密の魔法

A4サイズで1枚の企画書から始まったハローシリーズですが、
さすが!?素人の集まりで出版後、数々の間違いが有りました。
誤字、脱字から始まり、意味不明の言葉や曖昧な表現等・・・。
致命的だったのは、広告主の電話番号の入力ミスで
何の為の電話帳なのか?と広告主からコッピドク叱られました。
又、原稿作成時と出版時の時間的落差で記載情報が
正しくないページも出てきました。

そこで 情報の信頼度を高める為にも正誤表、訂正版を
出す事にしました。ただ、「間違いでした、スミマセン!」的な
物は出したくないので新規の情報と併せて生活の知恵的な事も
取り上げました。実際に出来上がった『ハローシンガポール』を見て
幸いな事に、出版後、契約出来なかったお店・会社等から、
即来年度の契約を頂きました。

そこで 正誤表、訂正版に広告を依頼するとこの分まで
契約を戴き、8ページの物が出来ました。
その後、新規の顧客がどんどん増え、
内容の充実させて行き、此れが季刊で出版する様になって
隔月(タイトルは、マハリク・マハリカ)、
そして月刊の無料誌のJ-PLUSまで拡大して行きました。

錯和から出たビジネスですが、常に正しい情報を的確に
敏速に伝える事に赴きを置いていた事で、新たなビジネスへと
展開していく経験をしました。

季刊誌のマハリク・マハリカのタイトルは、秘密のアッ子ちゃんが
好きだった当時の編集長がごり押しでつけた名前ですが、
A41枚から500ページを超えるハローシリーズ、
12都市まで広がり、韓国語まで出版出来たのは、
アッ子ちゃんの「秘密の魔法」が効いたかも知れません。