健康食品の輸入、コンピュータのフィルターを手がけましたが、
それ以外にも、中華料理には欠かす事できない人口フカヒレの
共同開発にも手を伸ばしました。
日本で流行りだした『蟹スティツク』は、蟹のすり身が全く入って
いないのに蟹の身に見えるので『蟹かまぼこ』としてもお寿司の種に
なるぐらいポピュラーなものでした。
同じ考え方で、“見た目は『フカヒレ』”の原料はプロティン。
それを開発して当地のみならず台湾、香港、中国、インドネシア、
マレーシアなどに輸出していました。
しかし“『フカヒレ』もどき”の商品を本物のフカヒレと一緒に混ぜて
スープにして出せば増量材としてメニューにフカヒレと明記しても
問題無かったのですが、一部の悪徳レストランが、本物を一切入れずに
我々の商品“『フカヒレ』もどき”だけでフカヒレスープとして
販売してしまった為、途端に本物が売れなくなってしまいました。
そしてその本物を取り扱う業者が新聞社にタレコみ、その記事が
掲載されてから急に売れなくなりました。
同時に中国で“『フカヒレ』もどき”のコピー商品、
『フカヒレもどきのニセ物』が出回り始め、海外市場も同様に
売れなくなりました。
“『フカヒレ』もどき”では、短期間ではありましたが大いに
儲けさせてもらいましたが、お陰で今でも中華レストランでは
フカヒレスープをオーダーする気にはなれません。
そのほか食料品では、倉庫の一部を改良してかいわれ大根、
アルファルファ、芽紫蘇(めじそ)も水耕栽培で作り、
大丸や日本食レストランに卸していました。
アジア通貨危機が起こり海外引越がピッタリと止まってしまい
仕方無く頭をひねらせ、どうしたら社員を首にせずに
倉庫とトラックの有効活用が出来るかを考えました。
そこで思いついたのが、かいわれ大根。海洋牧場で使われる、
ウレタンマットを利用した水耕栽培方式の機械を導入して、
当地で栽培すれば日本から輸入されている物より新鮮で価格が
安くなると思い、早速始めました。
しかし作物を作ると言うのは大変な事で失敗の連続でした。
岩手県の農家の出身の社員が言う、
『作物から出てくる言葉を聴きましょう』と言う訳の解らん言葉を
信じたお陰でとりあえず商品として出荷出来るまで改良することが
出来ました。
1粒の種が、4日間で5倍の重量になり、日曜日も祝日も休み無く
成長してくれる生命の力に驚かされもしました。
それなりに儲かりましたが、人手が集まりにくくなると同時に、
景気も回復し更に導入した機械も天寿を全うされ、廃業と相成りました。
かいわれ大根を食べる度にピリリと辛いオレの人生を
口の中で楽しんでいます。
今まで告白した失敗は、それなりに起業家の“なり”をしていると
思いますが、オレは、これ以外に日本食レストラン、そして化学商品の
東南アジア代理店にも手に染めました。
化学商品の代理店は、日本のメーカーからの依頼で始めました。
そのメーカーは、シンガポールでは駐在員事務所からのスタートでした。
丁度、彼らが契約していた代理店との間で揉め事が起こり,
オレの会社で是非やって欲しいと日参されて、勢いに押され
訳も解らず引き受けました。
売り上げがどんどん伸びるにつれて駐在員事務所から支店、そして
現地法人、さらに現地生産をする為、工場まで作りました。
その時点で色々な文句や高いノルマを設定されたり、新しい社員、
社長が赴任して昔の契約は、昔の話、今は、今だ,と
言われるようになって来ました。
それなら首を切られる前にこちらから代理店契約を解除する、と
通告しました。
オレは大和魂を絶対に忘れない日本から来た野武士である、
ということを証明する為にも!
それ以来、代理店業務はやりたいとは思わなくなり、仮にやるとしても
我々が主導権を握れる仕事でないと引き受けていません。
勝手なサラリーマンの都合で我々の社員が右往左往させられるのは
真っ平御免です。
色々なビジネスを手がけましたが、最初に手がけたのが
不動産仲介業でした。引越と不動産は車の両輪みたいな物です。
しかし、何処の会社でもこの両輪ビジネスをしている会社は、
当時ではありませんでした。
基本的な基幹ビジネスを行いながら、枝葉を増やし、そして伸ばして
行く必要性を感じたのが動機でした。
また、万一、海外引越ビジネスが、何なら事情により縮小したり、
倉庫の火事などの大惨事に遭遇した時のリスク回避にも良いであろうと
考えました。
SINGAPOREの政府は、マレーシア連邦から独立した時から、
世界、あるいは近隣諸国が、どんな状況になろうとも
SINGAPOREの独立を保ち、成長続ける為に常に危機感を
持ち続け、また、この危機感を国民にも植え続けています。
世界的な不景気、株、不動産暴落、通貨危機、サーズ、ヘイズ、
水不足、領土、人口減少、年金、高年者問題、人種問題、
野党政治、観光等、どんな事が起きても事前に危機管理し、
上手に対処してきました。
危機感を持つているからこそ此れからも間違いなく成長し、
アジアのNO.ONEの国になるであろうと確信しています。
この考え方をそのまま借りて1980年に設立して以来、
CROWN LINE GROUPは、今も存続し此れからも
未来永劫、経営していきます。
今のCROWN LINE GROUPは、両輪どころか4輪、
しかも4駆動的な会社になって来ました。目指すは、
大きくて省エネのエンジンを装置した水陸両用4輪駆動車、
更には空をも飛べる車、時には深海も潜れる車。陸、空、海軍同様な
組織で内装もリビングルーム的な快適な空間の車です。
不動産ビジネスの為の会社を立ち上げた事でビジネスの多角化、
多様化を進める自信が大きく出来ました。
海外引越以外の多くのビジネスを手がけましたが、
CROWN・GROUPの第二の柱は、出版、メディア事業です。
最初に出版物を出したのは、
日本語電話帳、生活情報誌『HELLO SINGAPORE』です。
作る動機は、近所に住み、家族付き合いをしていた
日本からの駐在員の奥さんの自殺でした。
当時は、日系製造メーカの進出が多く、地方の工場から
SINGAPOREに転勤してきた人が多くいました。
でも海外で生活する為の情報が、全くなく先輩からのアドバイス、
日本人会や日本人学校から情報しかない状態でした。
情報不足によるトラブル、例えばマレー系の子供に可愛いねと言って
頭をさする事や左手で物を渡すなど。・・・色、数字など
色々なタブーを知らずに人間関係をつぶしてしまう事が多くあり
ノイローゼになる人達も多くいました。
友人の奥さんの自殺の動機も海外生活に馴染めない事でした。
そこで出版業界に居た人や主婦の人々にボランティアの協力を求め
日本語で調べられる電話帳とありとあらゆる生活情報を満載した
『HELLO・・・』を作りました。
企画書は、A4サイズの1枚でしたが、多くの人に賛同を得て
広告収入もそれなりに集まり、出版記念パーティをした時に
協力して戴いた人々をステージに上ってもらい一人ひとりの名前を
呼んでいるうちに大きな涙が出てきました。
今でもHELLOは、海外生活のバイブルになり台湾、香港、北京、
上海、華北、華南、タイランド、マレーシア、インドネシア、
そして今年、ベトナムまで出来上がりました。
来年には、この各国版を日本人以上に海外駐在員が増えている
韓国人の為に韓国語に翻訳して韓国語バージョンを、
韓国のパートナーと一緒に作ります。
此れで世界シリーズや他国語翻訳版に弾みがつきました。
此れも海外引越を通じ、皆の困り事を一つ一つ解決して来た
賜物と思っています。