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2007年05月 アーカイブ

2007年05月03日

新規ビジネス

今まで海外引越とメディア関連の会社のみ会社運営をしていると
皆さんは、思われますが実は、色々なビジネスを手がけて来ました。
残ったのが、海外引越と不動産仲介、出版、放送関連のメディアと
言った方が正解です。

まず最初に手がけたのが、メーリングサービス業です。
80年代の初期には、フリーペーパーの存在は無く、
日本から来る大手新聞配送会社に頼み折込広告を頼むか、
もしくは自社で広告を作り、自社でダイレクトメイルするのが
広告宣伝の方法でした。

日本人会では、会報誌を会員に送付する為の機械を使っていましたが、
新しい機械を購入する為、古い機械を売りに出していました。
それを早速購入し、名簿を新しく整理して海外引越の
ダイレクトセールスメール広告宣伝用として使いました。

他の業者さんから、『できれば我々のメールに一緒に同封して欲しい』
との要望が多くなり、ビジネスとして立ち上げました。
しかし日本人宅の強盗事件が多くなり、日本人会の名簿も流用
出来なくなり、このビジネスはポシャリましたが、
今の出版ビジネスのアイディアの基礎となりました。

その後、日本から色々な健康食品を直接メーカーから仕入れ、
当地で販売しました。『薬九層倍』と言われ原価が異常に安く、
利益率が大変に高い商売であるという事、これからは健康産業が
流行ると言う直感から、このビジネスに参入しました。

深海鮫のスクワレン緑藻スプリナ(スピルリナ)、ビタミン各種を
多く買い付けましたが、思った以上に売れなく引越のお客様に
サンプルとして差し上げるしか出来ませんでした。

ただ単に商社的に動き、物を右から左に動かしても上手く行かないので
次に考えたのが自社で開発した商品の販売です。
つまりメーカーになる、という事です。

丁度80年代中ごろからコンピュターが当地でも多く利用され始め、
長期間に画面を見続けると肩こり、首の痛み、目の疲労等、色々な
病状が問題になってきていました。
画面から出てくる電磁波やフラッキング現象、解像度、反射光などが
大きな原因なのでそれを防ぐ方法を考えました。
NASAで開発されたロケットの窓にコーティングする技術を利用し、
一定の可視光線しか通さないプラスチックの板にコーテングして
『アイプロ』と言う名称で特許、実用新案の申請もしました。

コンピュータオペレーターからは、本当に感謝されましたが、
SINGAPORE政府から広告記事の内容についてクレームが
付きました。広告宣伝に、『アイプロ』を使用することで肩こり、
頭痛、目の痛みを和らげる、防げると書いた事で『アイプロ』は
医療商品であると言われ、販売方法に規制が掛かりました。

当時は、国を挙げてコンピュータ化を推進している時期なのに
画面を見すぎると流産までしてしまうと言う外国の記事を紹介したのが
大きな原因だったと思いました。
同時にコンピュータメーカーが、この問題に着手し
画面の解像度を上げたり、反射しない様にしたりとして
目に優しい商品を新規に開発してしまいましたので
途端に『アイプロ』は売れなくなり、在庫の山となりました。

夢にまで見たメーカーから脱却し、目の下にクマだけが残りました。

新規ビジネス2

健康食品の輸入、コンピュータのフィルターを手がけましたが、
それ以外にも、中華料理には欠かす事できない人口フカヒレの
共同開発にも手を伸ばしました。

日本で流行りだした『蟹スティツク』は、蟹のすり身が全く入って
いないのに蟹の身に見えるので『蟹かまぼこ』としてもお寿司の種に
なるぐらいポピュラーなものでした。

同じ考え方で、“見た目は『フカヒレ』”の原料はプロティン。
それを開発して当地のみならず台湾、香港、中国、インドネシア、
マレーシアなどに輸出していました。

しかし“『フカヒレ』もどき”の商品を本物のフカヒレと一緒に混ぜて
スープにして出せば増量材としてメニューにフカヒレと明記しても
問題無かったのですが、一部の悪徳レストランが、本物を一切入れずに
我々の商品“『フカヒレ』もどき”だけでフカヒレスープとして
販売してしまった為、途端に本物が売れなくなってしまいました。
そしてその本物を取り扱う業者が新聞社にタレコみ、その記事が
掲載されてから急に売れなくなりました。

同時に中国で“『フカヒレ』もどき”のコピー商品、
『フカヒレもどきのニセ物』が出回り始め、海外市場も同様に
売れなくなりました。
“『フカヒレ』もどき”では、短期間ではありましたが大いに
儲けさせてもらいましたが、お陰で今でも中華レストランでは
フカヒレスープをオーダーする気にはなれません。

そのほか食料品では、倉庫の一部を改良してかいわれ大根、
アルファルファ、芽紫蘇(めじそ)も水耕栽培で作り、
大丸や日本食レストランに卸していました。

アジア通貨危機が起こり海外引越がピッタリと止まってしまい
仕方無く頭をひねらせ、どうしたら社員を首にせずに
倉庫とトラックの有効活用が出来るかを考えました。

そこで思いついたのが、かいわれ大根。海洋牧場で使われる、
ウレタンマットを利用した水耕栽培方式の機械を導入して、
当地で栽培すれば日本から輸入されている物より新鮮で価格が
安くなると思い、早速始めました。

しかし作物を作ると言うのは大変な事で失敗の連続でした。
岩手県の農家の出身の社員が言う、
『作物から出てくる言葉を聴きましょう』と言う訳の解らん言葉を
信じたお陰でとりあえず商品として出荷出来るまで改良することが
出来ました。

1粒の種が、4日間で5倍の重量になり、日曜日も祝日も休み無く
成長してくれる生命の力に驚かされもしました。

それなりに儲かりましたが、人手が集まりにくくなると同時に、
景気も回復し更に導入した機械も天寿を全うされ、廃業と相成りました。

かいわれ大根を食べる度にピリリと辛いオレの人生を
口の中で楽しんでいます。

2007年05月06日

代理店業務

今まで告白した失敗は、それなりに起業家の“なり”をしていると
思いますが、オレは、これ以外に日本食レストラン、そして化学商品の
東南アジア代理店にも手に染めました。

化学商品の代理店は、日本のメーカーからの依頼で始めました。
そのメーカーは、シンガポールでは駐在員事務所からのスタートでした。
丁度、彼らが契約していた代理店との間で揉め事が起こり,
オレの会社で是非やって欲しいと日参されて、勢いに押され
訳も解らず引き受けました。

売り上げがどんどん伸びるにつれて駐在員事務所から支店、そして
現地法人、さらに現地生産をする為、工場まで作りました。

その時点で色々な文句や高いノルマを設定されたり、新しい社員、
社長が赴任して昔の契約は、昔の話、今は、今だ,と
言われるようになって来ました。

それなら首を切られる前にこちらから代理店契約を解除する、と
通告しました。
オレは大和魂を絶対に忘れない日本から来た野武士である、
ということを証明する為にも!

それ以来、代理店業務はやりたいとは思わなくなり、仮にやるとしても
我々が主導権を握れる仕事でないと引き受けていません。
勝手なサラリーマンの都合で我々の社員が右往左往させられるのは
真っ平御免です。

2007年05月11日

常に危機感

色々なビジネスを手がけましたが、最初に手がけたのが
不動産仲介業でした。引越と不動産は車の両輪みたいな物です。
しかし、何処の会社でもこの両輪ビジネスをしている会社は、
当時ではありませんでした。

基本的な基幹ビジネスを行いながら、枝葉を増やし、そして伸ばして
行く必要性を感じたのが動機でした。
また、万一、海外引越ビジネスが、何なら事情により縮小したり、
倉庫の火事などの大惨事に遭遇した時のリスク回避にも良いであろうと
考えました。

SINGAPOREの政府は、マレーシア連邦から独立した時から、
世界、あるいは近隣諸国が、どんな状況になろうとも
SINGAPOREの独立を保ち、成長続ける為に常に危機感を
持ち続け、また、この危機感を国民にも植え続けています。
世界的な不景気、株、不動産暴落、通貨危機、サーズ、ヘイズ、
水不足、領土、人口減少、年金、高年者問題、人種問題、
野党政治、観光等、どんな事が起きても事前に危機管理し、
上手に対処してきました。
危機感を持つているからこそ此れからも間違いなく成長し、
アジアのNO.ONEの国になるであろうと確信しています。

この考え方をそのまま借りて1980年に設立して以来、
CROWN LINE GROUPは、今も存続し此れからも
未来永劫、経営していきます。
今のCROWN LINE GROUPは、両輪どころか4輪、
しかも4駆動的な会社になって来ました。目指すは、
大きくて省エネのエンジンを装置した水陸両用4輪駆動車、
更には空をも飛べる車、時には深海も潜れる車。陸、空、海軍同様な
組織で内装もリビングルーム的な快適な空間の車です。

不動産ビジネスの為の会社を立ち上げた事でビジネスの多角化、
多様化を進める自信が大きく出来ました。

2007年05月19日

ワーキング・ホリデー

新しくビジネスを展開する時にオレなりの基本があります。

まず、これからやろうとするビジネスは、
必ず誰もまだ手をつけていない未開拓のビジネスである事。
もしくは、誰がビジネスを興したが失敗に終わったビジネスである事。
【例:コンピュータモニターから眼や肩こりなどを防ぐアイプロ、
健康食品、不動産仲介業、吟醸酒を日本から直輸入した
日本食レストラン】

スタートした時は、小さなビジネスでも
大きな夢が抱けるビジネスである事。
かいわれ大根、紫蘇の水耕栽培は、将来SINGAPOREの
全てのHDB団地の屋上に水耕栽培で野菜農園を作り、
収穫した物を団地の下の市場で売り、老人対策や食料飢饉の回避、
無農薬野菜で健康促進等を考えていました。】

既存の海外引越ビジネスに何らかな形で相乗効果を齎す
ビジネスである事。
【後日に書くが、生活情報誌、電話帳のHELLO SINGAPORE、
FM96.3日本語放送、J-PULS、J-SORTS、
シンガポール経済新聞などのメディア会社】

更に現地ビジネスマンの仕事を奪ったり、
価格をダンピングしたようなビジネスは絶対にしない事。
フカヒレの増量剤、ツバメの巣

此れを元に色々なビジネスを今まで展開して来ました。

今年の12月から遂にSINGAPOREでも優秀な若者を
ひきつける為にワーキング・ホリデーが開始されます。

他国と比べ6ヶ月間のみという短い期間と、延長が出来ないなどの
規制はありますが、国土の小さい当地で此れが実施される事は、
日本の将来を担う若者達がダイナミックに躍動し続けるこの国を
体感する事ができると言う事で、すなわち近い将来、
必ず若い起業家が生まれてくる筈です。

そんな若者達にオレの経験と体験が少しでも役に立てば
これほどの喜びはありません。
オレが21歳の時に渡米しアメリカンドリームを夢見た様に
閉塞感溢れる日本から飛び出しアジアンドリームを一緒に見ないか?

SINGAPOREは、2008年にF1レースが開催され、
2009、2010年には大型カジノと総合レジャーランドが
出来上がるぞ!

日本の若者よ!今こそアジア、21世紀は、SINGAPOREが凄いぞ!

2007年05月21日

知恵の結晶、酒蔵【くらま】

なぜ日本食レストランを開店しようと思ったのか。

それは、幼年期にお腹がいっぱいになるまで食べた経験が無かった事、
それと同時に美味しい食事に大いに憧れていたからです。
又、米国から帰国した後に大阪の丸ビルでインドレストランの
支配人をしていた経験も活かせるのではないか、
また引越関連の顧客を接待する時に自分の店で行えば、
第三者にはお金が出て行かないとも考えました。
更に大きな倉庫と毎日配送するトラックと社員がいるので、
家賃の高い一等地に店を開いても倉庫、保管場所などが要らないので
有効的に席数を増やせると思いました。
 
当時の当地での日本食レストランは、
若い時に来星し、修行して自ら独立したオーナーシェフの店、
または有名な日本のレストランの海外支店、
この2パターンしかありませんでした。
他業種からレストランに参入したのは、当地ではオレが初めてでした。

既存のレストラン、お店とただ単に競争することは絶対にしたくない、
逆に今まで誰もやっていない事をしたかった、ということで、知恵を絞り
日本で当時流行り始めていた“吟醸酒”を取り寄せた店、酒蔵【くらま】を
目抜き通のオーチャードに開店しました。

北は北海道、南は九州まで酒蔵に訪れ、日本でも滅多に手に入らない
幻の吟醸酒などを200種類以上取り揃えました。
仕入れ交渉のため各地の酒蔵に訪問すると、
どれ位酒が飲めるのか?どんな飲み方をするのか?などを試験のごとく
試されたりして大変に苦労しました。

最終的には、手塩を込めて作られた吟醸酒の品質を保つ為に
温度を5度に設定したコンテナ船で輸送出来る、
海外引越専門業者である事が
彼らから認められた要因だと思っています。

慣れない海外での仕事疲れ(本社との交渉事等による)を
日本酒で癒してくれる、ということで、
海外で活躍する企業戦士の間では伝説の店として
有名になっていました。

10年程度店を開いていましたが、残念ながら入居していた
ビルディングが隣のパラゴンと併合される為、立ち退きを迫られた事、
店の管理が大変な事、等々で、止むを得ず閉店しました。

しかし現在、黒板で囲まれた超高級日本食レストランを開店する
プランを温めています。
其の節はご贔屓を賜りますよう、何卒お願い申し上げます。

2007年05月29日

オランウータンビール

多くのビジネスを試みました。当然ながら大きな失敗もありました。

吟醸酒を日本各地から取り寄せた酒蔵レストランを経営しながら、
『鑑定利き酒士』の称号を取り、さらにお酒の製造方法も
学んで行く内に漫画の『夏子の酒』にも影響され、
自分でも酒作りをしたくなりました。

でも常夏のSINGAPOREでは、米の収穫を含め不可能な事ばかり。
そこで、欧州で人気があり、まだ日本では解禁になっていなかった、
『地ビール』『マイクロブルワリー』を考え、投資家を集め、
カルフォルニアから醸造士を獲得して
『ZOUK(ズーク)』(シンガポールで一番有名な老舗大型クラブ)
の隣のレンガ作りの倉庫に地ビールの製造工場とビヤホールを
作りました。

地ビールのブランドは、東南アジアを連想させる為、
またオレの名前をどこかに入れたかったので、
森の人、『オランウータンビール』としました。
地ビールの発想は、良かったのですが既存の大手ビール会社との
問題、政府とのライセンス交渉(新規ビジネスである事、酒税問題)
等に時間を費やしました。

丁度日本でも規制緩和でマイクロブルワリーが出来るようになる
寸前でしたので日本各地からも注目を集め、調査に来れれた
吟醸酒酒造メーカーの方々もおられました。
冬場のものである、日本酒製造では、若手を年間雇用するのは
難しい為、夏は地ビールの製造、販売、冬は日本酒の製造、販売と
多角化を考えるメーカの人たちで、オレがビール会社を設立している
事に大きく驚かれオレの鼻も人一倍高くなった様な気がしていました。

でも月日が経つにつれて株主、取締役との意見の相違が目立ち始め、
ビールを製造、販売まで成し遂げましたが、資本金を食いつくし
多額の負債を抱えてしまいました。誰も追加の資本金を入れないので
とうとう家賃を滞納して工場とビヤホールが、閉鎖されてしまいました。

お陰で世界一高いビールを飲んでしまいましたし、ビール製造の夢も
見事にビールの泡と一緒に消えてしまいました。

それ以来、『他人と一緒に会社を起こす気になれない後遺症』が
残っています。

2007年05月30日

Hello Singapore

海外引越以外の多くのビジネスを手がけましたが、
CROWN・GROUPの第二の柱は、出版、メディア事業です。
最初に出版物を出したのは、
日本語電話帳、生活情報誌『HELLO SINGAPORE』です。

作る動機は、近所に住み、家族付き合いをしていた
日本からの駐在員の奥さんの自殺でした。

当時は、日系製造メーカの進出が多く、地方の工場から
SINGAPOREに転勤してきた人が多くいました。
でも海外で生活する為の情報が、全くなく先輩からのアドバイス、
日本人会や日本人学校から情報しかない状態でした。
情報不足によるトラブル、例えばマレー系の子供に可愛いねと言って
頭をさする事や左手で物を渡すなど。・・・色、数字など
色々なタブーを知らずに人間関係をつぶしてしまう事が多くあり
ノイローゼになる人達も多くいました。

友人の奥さんの自殺の動機も海外生活に馴染めない事でした。
そこで出版業界に居た人や主婦の人々にボランティアの協力を求め
日本語で調べられる電話帳とありとあらゆる生活情報を満載した
『HELLO・・・』を作りました。

企画書は、A4サイズの1枚でしたが、多くの人に賛同を得て
広告収入もそれなりに集まり、出版記念パーティをした時に
協力して戴いた人々をステージに上ってもらい一人ひとりの名前を
呼んでいるうちに大きな涙が出てきました。

今でもHELLOは、海外生活のバイブルになり台湾、香港、北京、
上海、華北、華南、タイランド、マレーシア、インドネシア、
そして今年、ベトナムまで出来上がりました。

来年には、この各国版を日本人以上に海外駐在員が増えている
韓国人の為に韓国語に翻訳して韓国語バージョンを、
韓国のパートナーと一緒に作ります。

此れで世界シリーズや他国語翻訳版に弾みがつきました。
此れも海外引越を通じ、皆の困り事を一つ一つ解決して来た
賜物と思っています。

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