技術の日立製作所の入社試験は、
筆記試験と面接試験がありました。
面接試験は、筆記試験の後にあり試験日が、
丁度インターハイの試合日と重なっていました。
上位入賞を皆で狙っていたので主将兼コックスのオレが不参加では、
その夢も経たれる、と思い、面接官に事情を説明して面接日を
別の日に変更して貰いました。
入社希望者の一方的な理由で面接日を変えるのは一流企業では
有り得ませんが、当時の担当者が偶々同じ京都の出身だったので
無理を聞いてもらえました。
万一希望が叶えられなければ、他社に入社する気でいましたので
その迫力と、チームの為、学校の為、郷土の為、という心構えが
気に入られたのだと思います。
こいつは、会社の為、組織の為なら何でもすると思われたかも
知れません。
入社が決まり、配置されたのが、日立製作所、淀屋橋にある
大阪営業所でした。京都から京阪電車で自宅から90分程度
掛かりましたが、琵琶湖に通ってた事を考えると
苦にはなりませんでした。
研修期間から、リーダ的な存在で面接試験日を変更させた男として
既に知れ渡っていました。直ぐに同期会を発足させ幹事役をしました。
研修後、配置されたのが購買課です。東京の本社と大阪の購買課が、
全国にある工場から依頼され色々な資材を調達する部署でした。
課に配属された数週間後に工場に行ってどんな物を作っているのか、
更に研修が行われました。同期はまだ見習い的な仕事を
していましたが、当時の課長に気に入られ、工場廻りしてから即、
鉄鋼品の担当者になりました。当時は鉄は国家なりとの言葉を
言う人いるぐらいに基幹産業で、一流の大学を卒業した大手商社の
係長、中堅商社の課長、次長、中小メーカーの場合は、
取締役や専務が私との交渉人でした。
そんな人々に高卒の新人が、
負けるものかと張り切って仕事をしていました。