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会社の危機_第一波

26歳、27歳の狭間の時に海外で会社を設立し、即、家も購入し、
外車を乗り回し、仕事を終えたら接待と称し クラブ、ラウンジ等の
飲み屋をハシゴして街中、肩で風を切って歩いていました。

でも驕る平家は久しからずでとうとう会社の危機がたて続きで
これでもかこれでもかと襲ってきました。

第一波は、限られた市場の海外引越より、もっと大きな運輸業全般へ
手をのばしたくなったときにやってきました。

現地の社員を雇用し市場開拓をして行く事で、大きなビジネスが転がって来たのです。丁度、イラン・イラク戦争が始まり、中東にカーゴ輸送するのが困難な状態でした。いくらバクダット(今では、有名な所になりましたが。。)まで輸送するカーゴが有っても、バスラー港に魚雷が浮いている状態では、大手船会社、運輸会社は、そんな危険を冒してまでも戦争地帯に輸送はしません。
そこで バスラー港には行かず、クエートで一度陸揚げしてトラックでバスラー経由、バクダットまで輸送するアイデアを考え、見事にこの仕事を4回分受注しました。1回の売り上げが5千万円、合計2億円の仕事で利益は、予想で8千万円以上です。
しかし結果は、失敗。
輸送する前に船会社が、倒産してしまったのです。
荷主は、「あんたの責任だ!損害賠償(
3億円以上)を払え!!!」と
裁判所に訴えました。そうこうしている内に銀行口座も凍結され、
ニッチもサッチも行かない状態になりました。

大きなビジネスチャンスが、何の事がない大ピンチになりました。

これも自信過剰がもたらした結果でした。毎日毎日、食欲も無く、眠れず、起きてももさめても裁判の事が頭から離れません。
ただ、「何も悪い事はしていない、悪いのは倒産した船会社だ」と思うだけの毎日でした。そんな苦痛の日々を過ごす俺に、マレー人の妻が、
『貴方はSINGAPOREにスーツケース1つだけで来たんだから、又、
スーツケース1っで 日本に帰れば。。。2人の子供は、私が此処で育てるから大丈夫』と言われてしまいました。
ここで「はい!ご好意に感謝して日本に帰ります」と言えない大和魂が、
身体全体からムクムクと涌いて来ました。「よし裸一貫で来たんだから又、裸一貫で帰れば良い、だけどその前にあらゆる努力をして人生に恥と汚点を残さない様に頑張ろう」と決意したのです。
荷主と裁判で争うのではなく、今まで儲けてきた金を全部渡す
3億円には到底届きませんが・・・)と言う案で示談して和解しました。
この裁判で誰よりも裁判手続を熟知し、弁護士の使い方から争い事の
裏の裏まで脳裏に刻んだお陰で今のオレ、会社が存続しています。

ひとつだけ残った問題は、これ以来、妻に頭が上がらない、
という事です。

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2007年03月19日 20:05に投稿されたエントリーのページです。

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