海外で若輩のオレが会社を立ち上げ、SINGAPOREだけに止まらず
アジア各国に新会社、支店を開設できた大きな理由は、
幼年期の赤貧の経験とそこから脱出する為に自らアルバイトして
自活してきた事ですが、もう一つの大きな要因が、
高校時代に運動部で活躍した事です。
親父が、若い時に海外航路の船員をしており、子守歌代わりによく
海外の話を聞いていたので工業高校を卒業した後は、
海上自衛隊の学校か商船大学に行く夢を持っていました。
そんな影響で高校1年生の時に漕艇部に入部しました。
野球やサッカーは、小さい時から練習をして経験を積んでいる者達と
比べ、アルバイトに明け暮れたオレが、いまさら野球やサッカーを
しても即レギュラーには、成れないと考えていました。
このスポーツ、ボートは、湖、川、海がない所では練習が出来ません。
京都の洛陽工業高校は、今のJR、京都駅の次の駅、西大路駅の近くに
ありました。練習場所はそこから電車に乗り、滋賀県の石山駅で
下車した所の琵琶湖とその下流の瀬田川でした。
1年生の夏から先輩を差し置いて主将になり、1年生の新人戦では
京都府で優勝!2年生からインターハイ、国体と出場し3年生までに
常勝チームを作り上げました。
鬼の森と近畿地区では、言われたぐらい厳しい主将でした。
1年生の時は漕ぎ手でしたが、皆との身長、リーチ差が大きかったので、漕ぎ手を辞め、ラダーを引くコックスになりました。
ボートの上では、コックスが船長ですので全てコックスの指示に
従うのが原則です。主将で船長役のコックスをしていましたから誰も
反抗出来ない状態でした。
それだけに人の3倍勉強しました。
先輩コーチがいましたが、それほど熱心でなく、古い考え、古い方式、
根性論が全ての人だったので、効率の良い漕ぎ方、練習方法を調べる
為に近くの艇庫にある実業団や大学のボート部に教えを請う為に
何度も頭を下げました。
理論武装し陸トレも皆に負けない状態にしたのでメンバーは仕方なく
オレの言う事に反発せずついて来てくれました。
現役チームが勝ち続けるので後輩のチームも同じ様な頑張り、
私が卒業した年には、国体3位入賞するまでの成績を上げ、
更に翌年の後輩は、インターハイ2位になりロンドンのテームズ河で
行われた世界選手権にも出場できるぐらいになりました。
漕艇部に入って得たことは、
いち早くNO.ONEになりたかったらニッチな事に注目をする、
という事です。ボートに馴染んでいた青年なんて伝馬船を漕ぐ
漁師の息子ぐらいしかいませんし、伝馬船と競技用の漕艇とは
漕ぎ方が、天と地の差です。
もし野球をしていたら甲子園どころか平安高校なんかに毎年1回戦で
大負けしていたでしょう。
それとボートには、リーグ戦やトーナメント戦などは無く、
予選、準決勝、決勝と戦い続けるのですが、
予選に限り敗者復活戦があります。
誰もが失敗を経験しますが、この素晴らしい敗者復活の思想が、
今でも体の奥まで染み付いています。