新聞配達以外にしたアルバイトは、
中学2年生から高校3年生までしていた牛乳配達です。
新聞配達より楽で牛乳も飲める、そして時間に余裕があるので
転職(?)しましたが、冬に冷たい牛乳瓶を運ぶのは辛い仕事でした。
社会人になってからは、深夜喫茶店のウエーターと
英語教材の販売です。何れもアメリカに渡米し留学する為の資金を
貯める為でした。
昼間は大阪の淀屋橋に有った日立製作所に勤務し、
終業時間が来ると真っ先にエレベーターに乗り、
京阪電車の特急電車で京都まで帰り、先斗町の近くにある
深夜喫茶で26時まで働きました。
それでも資金は貯まりません。休暇を取ってブリタニカの百科事典と
英会話の教材カセットテープをセットにして販売していました。
33年前で50万円もする高価な教材でした。しかし、
若手社長、医者、先生、商社マンなどに売りまくり、
その販売会社での新人記録を更新しました。
秘訣は、まず電話でのアポとりと自ら考えたセールストークでした。
契約してもらう為の最後の決め台詞は、
『この教材で毎日30分練習すれば、3ヵ月後に外国人とスムーズに
会話が出来ますよ!!』といったオーソドックスな物ではなく、
『この教材で練習して彼女と洋画を観に行って下さい。
会場の人々は右端の字幕を見ていますが、貴方は、
映画館にいる誰よりも早く驚き、感動し、笑い、泣きますよ!
横で見ている彼女は間違いなく羨望の目で貴方を惚れ直す事、
間違いありません。保証します。。。』
人間の欲望に訴えないとヒトは高価な商品を買わない、
このアルバイトで得た教訓です。
その当時、日立製作所の給料は、1ヶ月の手取りで8万円位でした。
しかしこの英会話教材販売では、3ヶ月間で150万円を稼ぎました。
これで日立製作所を退社してアメリカに行く渡航費用と滞在費を
作り出した訳です。