2008年08月28日

人との距離感

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巷では、若者、未成年者による殺人事件、凶悪事件が連日、連夜、新聞やTVで これでもかと報道されていますが、俺の若い時代には、こんな事件はほとんどなかった。
昔は、こんな事件を犯す者は、ヤクザや愚連隊ぐらいなもので 未成年、しかも15、16歳程度の人間が刃物を振り回し、両親、肉親、見ず知らずの他人達に無差別的に殺人を犯す事など想像も付きませんでした。

俺は、この夏7月に起きた秋葉原無差別殺人事件にもう少しで遭遇する所でした。。
事件のあった日に友人と秋葉原で昼食を取る予定でしたが、前夜深酒してしまい、翌日SINGAPOREに帰国するので 昼食の予定をその日の朝にキャンセルしました。
ホテルのベッドでまだ寝ていると、その友人からトラックが友人目掛けて突っ込み、更に秋葉原の交差点で7人の人をナイフで刺していると実況報告が携帯電話にありました。

実は、俺はその前の週の夜に4人の若者達と品川駅前で 大立ち回りをしていました。
駅前のタクシースタンドに並んで居ると 後ろから酔っ払った若者が、早く行けとばかりに背中を再三再四押してきました。
日本人は、満員電車に乗りなれているせいか、人と人との距離、感覚が鈍っています。
欧米では、エレベータや電車の中でも袖が触れ合うかどうかぐらいでも 必ずエクスキュウーズ ミーと謝ります。

若者に何回か注意したのが、気に入らないのかタクシーに乗り込んでいざ出発となった時に一人の若者が、俺に向かって 真ん中の指を立てて「XXXX YOU」と言いました。
これには、さすがの俺も頭にきて ネクタイを外して 運転手に「ちょっと、待ってて」と言い、電光石火のごとく指を立て男に、俺の右手にあるダイヤが填った指輪をコメカミに埋め込めさせました。
そうしたら残りの3人が向かって来たので一人は腹に蹴りをいれ、残りの一人には胸にパンチ、更に後ろから羽交絞めにしてきた男には左肘で コメカミに一発食らわせました。
救急車を呼ばれないように、どれも鼻血など、血が出ないところばかり狙いました。
4人がへたばったころにタクシー待ちをしている人から、『もうそれぐらいに しといたれ……』と言われたので 待たせていたタクシーに乗り込みホテルに帰りました。
ホテルに帰ると、まだ興奮しているのか酒をジャンジャンと飲みまくりました。
翌日、スーツをクリーニングに出そうと思ったらベルサーチのスーツの上着が脇と横側がベロベロに破られていました。
4人掛りだったので 仕方がないと思いました。

こんな俺なので もし秋葉原に遭遇していたら 間違いなく『ラスト侍』ごとく 犯人を取り押さえるか無残にも刺されていたかも知れません。
これは、ラッキーなのかアンラッキーなのか解りません。

2008年07月30日

俺の永遠の憧れ

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俺の永遠の憧れ、尊敬するロッキー・青木氏が、7月10日に69歳の生涯を閉じられました。

俺が34年前、21歳の時に渡米したのも、アメリカンドリームを実現したロッキー・青木氏の自伝を読んだからです。

ローマオリンピックにレスリング代表選手として出場、その帰りにニューヨークに立ち寄り、スラム街で起こしたアイスクリームの移動販売事業で成功します。
その後、火鉢ステーキを考え出して、伝説の鉄板焼きレストラン『べ二ハナ オブ 東京』をオープンさせ、シカゴやサンフランシスコ、ロサンゼルス、フロリダと次々に広げて行き、TV番組やTIMES等の雑誌の表紙を飾りました。
米国で大成功した実業家、億万長者で、ガス気球で太平洋横断や高速モーターボートなど人のやらないスポーツ、冒険に挑戦した人です。

裸一貫で、海外で成功したロッキー・青木氏みたいになりたいと思い、何が何でも米国に渡り、彼をお手本にして俺も成功の階段を登ろうと思いました。
ロサンゼルスに到着して すぐに『べ二ハナ』に行きましたが、金が無いので玄関先をうろうろしていました。
もしかしてロッキー・青木氏氏と出会えて、弟子にしてもらえるのではないかとの思いもありました。
TVでは、『べ二ハナ』のCMが流れていて、それを目にしたとき、ナイフを巧みにあやつり、食べる日本食から見せる日本食に変えた、彼のレストランの鉄板焼きシェフになろうとも思いました。

彼との出会いは、俺がアジアで成功した後、タイのバンコックで『ベニハナ』を開店日に会う事が出来ましたが、既に肝臓を痛め(ボートの事故による輸血でウイルスが入ったため)、可愛いそうなぐらい痩せ細せていて、昔の印象とは大違いでした。

そんな素晴らしい人が、亡くなり ショックでしたが、7月31日号の週刊新潮にロッキー・青木氏の暴露記事が出ていました。
死人に口なしですが、ロッキーが作った全てを否定する記事でした。

ローマオリンピックにも出場せず、最初に開店した店に資金は、既に日本橋で紅花と言うレストランを経営していた彼の父親が出し、母親、兄弟が経営を手伝いしていた事など等……。
俺が、今まで抱いていたロッキー・青木氏を根底から覆す事ばかりに内容でした。
記事は、弟の暴露ですが憎しみがいくらあってもここまで書くか? と言う感じです。

でもいくら真実、真相が書かれていたとしても、俺は、ロッキーに近寄ろう、ロッキーを超えようと日々精進して来ました。
だから俺のロッキー・青木氏は、永遠に不滅です。
心からロッキーに哀悼申し上げます。

2008年05月13日

アジア定住―11ヵ国18人の日本人

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数々のメディアに取り上げられたオレですが、
1986年発刊の野村進氏著『アジア定住』にも掲載されました。
この著書では、アジア11カ国18人が取り上げられていました。

SINGAPOREでは、オレと[女機械会社社長]が取材を受けました。
この女社長は、既に当地から他の国に移住されていますが、
取材を受けた18人のその後がどの様になっているのか、大変に興味が
あり、著者の野村進氏(大宅荘一フィクション賞受賞を始め講談社
フィクション賞、アジア太平洋賞など受賞者)に是非、同窓会的な
集まりを開催してもらえないか、と頼みました。しかし消息不明や
亡くなられた方もおられ今だ実現できていません。

その男女18人の素性です。(目次はこちらからご覧になれます。)

インドネシアでは、元落語家と、この本の表紙にもなった有名な
バリ伝統舞踊ダンサーに嫁いだ女性。
タイでは、ボクシング世界チャンピオンの妻、熱帯魚家。
マレーシアでは、元日本航空支店長の蘭の栽培家、障害児のお世話。
香港では、製本家。
カンボジヤは、戦場からの生還者。
ベトナムでは、美人歌手を持つ日本料理オーナー。
フィリピンでは、タガログ語ポップス歌手と五星ホテルマネージャー。
ブルネイでは、サルタンご用達氏。
台湾では、クラシック音楽演奏家とプロ野球選手。
そして韓国は、反日のはざま、有名百貨店長が取り上げれられました。

今、出来る限り解る範因で彼らに連絡を取っていますので近々、
ご報告できると思います。

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2008年04月16日

『会社寿命30年説』は定説か?

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数々のメディアに取り上げられ色々な面白い体験をしましたが、
驚いた事も数多くありました。
 
TV朝日の『宮尾すすむの日本の社長』の番組に海外特番で出演した
8年後に、日本で宮尾すすむさんと当時のプロディーサーに会う機会が
有りました。
この番組は、バブル景気が華やかしい79年から始まりバブルが
破裂した後の89年まで続いた長寿番組で、出演した日本の社長は、
500人にも上ります。

ご両人とは、懐かしいSINGAPOREでの取材の話に
盛り上がりましたが、オレのように番組出演後も会う機会は
少ないとの事でした。

何故なのかを聞いたらバブル景気で大儲けし、御殿を建てたり、
高級車を何台も乗り回し、金や宝石、アンティークなどを蒐集し
贅沢を極め、冷蔵庫の内には(番組では宮尾すすむさんが家庭の
冷蔵庫を空けるシーンが必ず出てきます)マスクメロンが何時も
ある華やいだ生活をした社長程、行方不明が多いと聞かされました。

行方不明どころか何人かは自殺までした社長がいる、とのことでした。
更に同じビジネスを今現在まで継続している社長も少なく、規模を
縮小した会社、社名を変更した会社も多くみられたとのこと・・・。

オレみたいに尻上がりで上昇している社長は、珍しく、ましてそれが
海外ならと・・・と、取材した事を誇らしいとまでお褒めの言葉を
頂きました。

それなら日本の社長500人のその後・・・、みたいな番組を制作して
何が原因で会社を倒産させたのか?何処で間違ったのか?何が
悪かったのか?などをインタビューすれば参考になるTV番組が
出来ると考えました。
成功する方法、勝つ為の方法論より負けない方法、落ちない方法を
取得した方が、混沌とする今の世の中では、絶対に勝てます。
あれ?これも勝利の方程式か???

日経新聞の記事で以前読んだ事がある『会社寿命30年説』は、
一面正しいと思う様になりましたが、殆どの社長は起業は早くても
30歳後半です。今でこそIT関連で20歳台で起業する若者も
増えていますが、オレは1980年、今から28年前、丁度年齢は、
27歳1ヶ月だった時に会社をスタートさせました。 しかし、30周年を
目前にして、まだまだ現役状態、それどころか新規ビジネスの
立ち上げに今でも血、肉が涌き踊っています。

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2008年03月14日

雑誌『ムー』掲載後の顛末・・・

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大きな庭、プール、更に宮殿まで手に入れてしまったオレですが・・・。
雑誌『ムー』が、出版されてまもなくドキドキする事が連発しました。

まず最初に驚いたのは、日本から多くの手紙が来た事。
封筒には、郵便番号も住所も全く書かれてはおらず、ただ単に
CROWN LINE SINGAPORE MIKIO MORIしか記載されていない
封筒でした。1990年の事ですのでINTERNETは、まだ普及して
おらず、また紙面には、会社の住所、電話番号などは一切
記載されていませんでした。

しかし引越で使用するトラックの写真はそこに掲載されていました。
そして、そのトラックには、側面に、宣伝の為、大きく会社の名前を
ペイントしていました。ここから会社名が判明し、SINGAPOREの
国名だけで会社まで配達されたということです。
当時日本の郵便局はまだ民営化されておらず、お役所的な
サービスしかないのにSINGAPOREの郵便局は、
住所が書かれていなくても、宛名だけでオレまで届けてくれる
素晴らしいサービスを提供してくれました。
これには大変に感心しました。

そうこうする内に郵便物が2つ、3つと増え続け、発行されてから
3ヶ月間で100通近くのレターを貰いました。
ちょっとした芸能人気分でした。100通の内、三分の一は、男性で
雑誌を読み感動した、どうしたら想念術を身につけられるのか?
道場は何処ですか?などの質問から、海外で働きたい、就職させて
欲しい、弟子にして欲しい、修行させて下さい・・・。中には寄付の
依頼や大日本紳士録に登録しましたから埋蔵金、沈没船の引き上げ
ビジネスを一緒にしましょう!などの金儲け話、胡散臭い話も多く
ありました。

残り、三分の二の女性達は、病に侵されているので想念術で奇跡の
回復したいとか、男性に騙されたので助けて欲しい等の身内の話、
相談事がほとんどでした。それ以外は是非お会いしたい、
銀座でラウンジを経営しているので日本に帰国の折には是非
お立ち寄り下さい、とか交際したい!と積極的なアプローチも
ありました。

何人かの女性は、写真まで同封されていて、一人は水着姿の写真
(ハワイに旅行に行った時の記念写真と書かれてありました。が、
それは明らかに4,5年前の写真?!)も有りました。

当時は、INTERNETやSNSが無い時代ですから、来た手紙には
お礼の手紙を書いて、プールはオレの物ではない、パレスも嘘と
白状している内に文通状態になり、とうとうSINGAPOREまで来られた
女性が数人にもなりました。

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2008年03月12日

大胆な切り口と仮説で謎の真相に迫る!【ムー】

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TVや雑誌、単行本などに取材を受けましたが、勿論、地元の新聞、
THE STRAITS TIMES、BUUSINESS TIMESを始め、
ラジオにも多く出演しました。朝日新聞、読売新聞、日経流通新聞等
にも掲載されましたが、面白かったのは学研の発行する【ムー】
掲載された時です。

最新科学・古代史・心霊・UFOから政治・経済・健康まで
大胆な切り口と仮説で謎の真相に迫る!


月刊「ムー」と言えば、「世界の謎と不思議に挑戦する」を
モットーに、1979年創刊以来、四半世紀にわたって
日本の精神世界をリードし続けてきたスーパー・ミステリー・
マガジンです。
記事で取り上げる対象は、その名に恥じず実にバラエティー豊か。
古代史ミステリー、最新科学ミステリー、心霊、UFO、魔術から
政治、経済、健康、エコロジーまで、謎あるところには、
どこにでもムーは飛び込んでいきます。
そして、常に読者があっと驚くような大胆な切り口と仮説で謎の
真相に迫りつづけています。まっすぐ見ているだけでは
見えなかった事実も、斜めや下やウラから見ると、意外な表情を
あらわにしてくれます。
最近、世の中がつまらないなあ、とお思いの方、決してそんな
ことはありません。世の中、実は謎だらけ。謎こそロマン、
謎あるところに夢があるというのが、彼らの編集姿勢です。
謎発見と謎解明のスリル、楽しさを「ムー」で存分に
味わう事ができます。

レポーター曰く、オレに守護霊が宿っている?とのことで、
UFOと一緒にされましたが、記事の内容は事実を元に多少表現が
神がかり的でした。(1990年 8月号 No.117 128ページ
【異色人物レポート】想念術で巨億の富を築いた男  筆者;藤本憲幸


2日間程、MALAYSIAのJOHORの星空と海が
綺麗なリゾートに行き、ホテルに缶積めになり取材を受けました。
ホテルのプールで寛いだ後、SINGAPOREに帰る途中にJOHORの
王様のパレスに行き、銃を持った近衛兵を横に記念写真を
取りました。
更に社屋、倉庫、引越現場の写真なども取りましたが、
いざ、出版された雑誌を見ると、なんと『休日はゆっくりと自邸の
プールで寛ぐ・・・。』のコメントと共にリゾートホテルのプールで
取ったオレの写真が掲載されていました。

更に『自邸の前で立つ・・・』のコメントには、MALAYSIAの王様の
パレスのゲートで取った写真が掲載されていました。
いつの間にかリゾートホテルのプールは、オレのプールになり、
KINGが住むパレスもオレの自邸になってしまいました。
まるで、東京駅前にある皇居やロンドンにあるバッキンガム宮殿が、
一夜にしてオレの物になった感じです。

直ちに日本のレポーターに事実と違う写真が掲載されている事に
クレームを申し立てましたが、編集時にアルバイト社員が
間違った写真を使ってしまったと言われ、既に出版されているので
どうしようもないと言われてしまいました。
どう考えても、面白おかしく誇張した方が、心霊やミステリーを好む、
ムーの読者に受けると思い、確信的に間違って写真を
掲載した様でした。

オレが、嘘をついている事になるだけでなく、万が一、MALAYSIAの
王様から、「先祖代々引き継いだの俺のパレスが、何時からお前の
物になったのか?」と言われるのが怖いやら恥ずかしいやらで、
出版されてからは、ドキドキの毎日でした。

そして、後日、そのドキドキが的中してしまったのです・・・・・・・・・。

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2008年03月10日

メディアからの取材

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若くして海外に行き、ビジネスを立ち上げ、小春日和もあれば
大型台風、津波、地震にも遭遇した様な人生だったので
国内外の色々なメディアから数多く取材を受けていました。

まず始めは、1987年に地元のTV局で取材を受け、その後1989年に
TV朝日で500回(週間なので10年間も!)も放送された長寿番組、
宮尾すすむの『ああ~日本の社長』、1990年にPHP出版の
『ビジネス・ボイス』に【アジアン・ドリームを実現した男】と
紹介されました。

同じ年に学研から発刊されている『ムー』、1991年には、NHKTVで
『アジア・マンスリー』に出演し、更に週刊フライデーに
【アジアの中の新日本人。アジアンドリームを実現した男】として、
掲載されました。

1995年には、週間ダイヤモンドに【職はアジアにあり!】に掲載され、
上岡龍太郎と鶴瓶の90分特別番組【世界ガンバレ日本人・人生楽あり
苦もあるスペシャル】にも出演しました。

1997年にSINGAPOREに新しく出来たTV局、チャンネルUの
45分間のビジネス、プライベートに関してのフィーチャー番組に
出演しました。
1998年に東アジア総合研究所の『月刊東アジア』に
【アジアに凄む日僑人伝説】として取り上げられ又、『月刊アジア』
では【アジアン・ドリーム、敗者復活でつかんだ商機】と
紹介されました。

単行本では、【本気で考える海外移住と事業】扶桑社、
【やはり儲かるアジアビジネス】日刊工業新聞社、
【人物研究】近代人物研究所、
そして英語版で【ADONIS YEARBOOK 92 WINNERS】や
【SINGAPORE SAVVY 50 ENTERPRENEURS OF TOMORROW】と数多くのインタービュー、取材を受けた事になります。

1999年以降、メディアの露出を無くしたのは、SINGAPOREで
日本語のFM放送、HELLO SINGAPORE FM96.3を開始し、
オレがメディアの発信側に大きくスタンスを移動した為です。

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2008年03月07日

実は、もう一つあります

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これまで、成功する三つの秘訣をお教えしましたが、
実は、もう一つあります。

それは、自分が生まれ育った土地で絶対ビジネスを始めない事です。

往々にして生まれ育った土地でビジネスをすれば
親、兄弟、親戚をはじめ友人、学友、同窓生達が何かと
援助、応援してくれるので安心、心強いものですが、
保険の外交員ならいざ知らず他のビジネスには大きなマイナス要因に
なります。

勿論、お金を借りたり、取引先を紹介されたりと何かと便利で
安心ですが、トラブルが発生すると他人に頼ってしまったり、
誰かに責任を押し付けたりしてしまう傾向が、どうしてもあります。

誰も頼る人が居ない土地、外国なら全て自分、何事においても
他力本願ではなく、己との戦いになります。
まして身を粉にして立ち上げたビジネスを起動に乗せる為には、
友人達と飲み会や遊びには行ってられません。
他人から薄情だとか付き合いが悪いとか憎まれたり銭の亡者等という
陰口は、知らない土地、海外なら無縁です。

まして何かの拍子で大恥をさらす事になっても縁の無い土地、
異国の地なら他人の眼も気になりません。
親類の縁も無く、ご近所とも付き合いが無い状態で孤独で寂しく
休眠火山の辛い状態ですが、退路を断ち切り、恥を掻こうが、
悪口を言われようが、どんな事をしてでも夢の実現にまっしぐらに
進むには異国の地がベストです。

日本国内でも成功している人々は殆どが地方の出身者ですし
いつか親戚縁者を集め故郷に錦を飾る事や友人、
同僚達の前で凱旋帰国を夢見て頑張って生きていく事が
成功する為には絶対重要です。

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2008年03月03日

難病を克服したお陰で・・・

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生死を彷徨ったと言えば大袈裟かも知れませんが、
大きな交通事故と難病を体験し初めて生きている事の尊さを身体で
感じ取りました。

子供達やビジネスを含め次世代に繋ぎたいオレの生きた証しを
第二の故郷SINGAPORE,ASIAに残したいと強く思いました。
本を読んだり、人の話を聞いても感じる事の無い貴重で本当に
かけがいの無い経験です。

さて人生の成功する3大条件を見事にクリアーしたオレですが、難病を
克服したお陰で今まで以上に人の苦しみや痛みも心の底から
理解できたという事も嬉しいことの一つでした。
それ以外にも50歳を前に体は20歳前後の若者である事も確実に証明
でき、こんなに嬉しい事はありません。
此れからも益々体を鍛え、脳を鍛え、精神を鍛えまだまだ続くオレの
人生を楽しく、愉快に、面白く過ごして行きたいと思っています。

でもあらゆる艱難辛苦を乗り切って来たので、これから突然巡り合うかも
知れない試練がどんなものか全く想像付かない事に苛立ちも感じます。
予想が出来れば事前に対策もたてられるのに、と思いながらもドンと罹って来い艱難辛苦よ!と未だにお腹(腹筋)が六つに割れない
下腹を叩く毎日です。

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2008年02月26日

潰瘍性大腸炎2

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難病の潰瘍性大腸炎ですが、昔も今も治療方法は確立しておらず、
潰瘍を抑える薬を飲むか、免疫制御剤を服用するか、いずれにしても
症状を緩和する薬以外はありません。
症状が悪化すると副作用の大きいステロイド剤を飲むしか治療方法は
ありません。

こんな状態では、神、仏、キリスト様といわず何でも
すがるしかありません。
でも祈った処で完治する訳でもないのでまずは民間療法も含めて
色々な事を試しました。

まずは、食事療法で肉、牛乳などを摂取せずに変わりにビール酵母や
大豆蛋白を多くとりました。
腸に負担を掛けない為にもあまり植物繊維も取らないようにしました。
更にストレスを軽減する為にあらゆる事をしましたが、ストレスを
無くそうとすること事態が、ストレスを生む事が解り、
自然体で行こうと決めました。

アメリカインディアンの自然治療方法の本を読んだり、
ネットで調べたり、と色々試しましたが、
『もうええや~。短いようで長い俺の人生、今までジェット・コースター
みたいな人生だったけど、おもろかった。人が出来なかった事を沢山
したし、遣り甲斐のあるビジネスを確立したし・・・』
後は、若い者達に後進を譲ろうと決め、
病気の悪魔は、退治できないけど、悪魔と上手く付き合い、
残りの人生はなる様になると思いました。

社員に病気の事を告げ、後は確りと頼むと言ったら肩の荷が
落ちたのかすっきりとした気分になりました。

中国の漢方薬も試しながら定期検査を受けて行く内に症状が段々と
改善に向かい2年もすると西洋医学の薬の服用も医者から要らないと
言われるぐらいに回復しました。
今も全く薬は服用せず、年に1回の定期検査だけで、あれほど苦しんだ病魔は、何処かに逃げていきました。

難病ですから何故病気になったか解らず、結局完治したのも解らずじまいです。でも人生なるようになる、と開き直り、とりあえず毎日ベストを
尽くし、人生をエンジョイしようと思う事が完治した理由かも
知れません。

どんな事でも諦めず、ドン底状態ならこれ以上は落ちないと思い、
楽観的に、冬が来たら春が来ると思い、腐らず悩まず、他人のせいに
せず、愚痴をこぼす事無く、怒りを押さえ、笑顔で過ごし、
今までの生活、人生に感謝すれば必ず道は開けてきます。

オレが、出来たのだから貴方にも必ず出来ます。

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